春(秋)分を中心に前後三日ずつの七日間を彼岸と言う。

彼岸は仏教行事であると思われやすいが・・・・日本古来の行事も含まれています。例えば、美方町貫田では、彼岸入りに必ず魚を食べるというのも、各地に見られます。

行事として、七社めぐり、山遊び、おてんとうさん拝みなどがそれであります。

 春(秋)分の日に、村の老若男女が弁当を持って、山や、野原で遊び、食事をして楽しむ例は、和田山土田、城崎町湯島など、古老の記憶に残っております。
このような行事が、今現在、赤崎で行う彼岸の道作りの日役に、変わってきたように思われます。ここで昔の行事を少し、ひもといて見ましょう。

 鳥居のある神社に参り、七つの鳥居をくぐると、災難を免れ、病気をしないと、明治の頃には、八鹿町天子の宮には、参拝者めあての大道商人が、おもちゃ、かし、うどんなどの店がたくさんできるほど、賑わったという事だそうです。
日高町久斗も同様でした。

 また太平洋戦争当時、出征軍人の武運を祈る、七社参りをする例は広く各地にありました。

 春(秋)分は、日の出、日の入りを拝む風習が各地にありました。
中でも養父郡餅耕地の朝日屋では、彼岸の中日にタライに水を入れ、その水に写した太陽を拝むのを例とした。

又彼岸の間に、身につけている腰巻を洗って乾かす事を、七回繰り返すと病気をしても、下の世話をしてもらうことがないという俗言が日高町久斗、豊岡市気比などに、たくさんあり、又赤崎にも彼岸の片道といって、片道になる事はしない、祝い事、結婚の話などしないという俗言などがあります。

このような行事が少しずつ変わって来て現在の山開き。遊園地の
開園等が行われるようになりました。


  三月彼岸
三月の行事