険しい山道の途中は見えるのは木の根と落ち葉の積もった土ばかりですが、ところどころでパッと視界が開け、赤崎の畑や円山川や江原の町の方まで見渡せるポイントがあります。
風もスーッと吹き抜けて、疲れた足を休めながら一息入れるのは最高の気分です。
しかし、この周辺の中世山城同様に、羽柴秀吉の中国地方侵攻の際に焼き討ちに遭い、現在の建物は江戸時代中ごろに出石城主・仙石家によって再建されたそうです。
観音堂の「鰐口」は重さ48・75kgに及ぶ大きなもので、明徳3年(1392)に住職幸円が寄進し、県の指定文化財となっています。(但馬西国第一番霊場)

4月の第3日曜日に行われる「観音祭」は山頂で白山権現の願開きがあり、餅まきも行われます。以前婦人会があった頃は片道30分以上かかる急な山道をお酒や菓子やつまみを担いで山に上がり山の上の進美寺境内で販売したりしていました。子供たちは小遣いをもらってその出店で買物をするのが楽しみでしたし、よその部落からもたくさんの参拝者がありました。

現在も、出店こそなくなりましたが、春の楽しみな行事として村中の人が観音さんには進美寺に登っています。
村の中に進美寺の里坊ができ、法院さんが村の中に住まわれるようになり、普段の法事などが村の中でも出来るようになりましたが、山の上のお寺に立つと自然と厳粛な気持ちになります。

枯れ草色の山のなかで、若い新芽が伸び始める頃ですが、ひときわ鮮やかに目を引くのは山のつつじです。
紫がかったピンク色の可憐な花が山のあちこちで見かけられます。
私の住む赤崎の進美寺山には天台宗の古刹・進美寺があります。慶雲2年(705)に行基上人が開いたといわれ、聖武天皇の勅命により天平10年(738)に13間4面の大伽藍と42坊の別院が建立された・・・・といいますから、昔は大変な規模のお寺だったことになります。平安時代から室町・桃山時代にかけては、赤崎・岩中・日置の3村、32町5反、また3箇所の灯油畑を所有し、但馬国分寺に次ぐ面積を有していたほどの大きな寺でした。
進美寺観音祭
akasaki の春