昔、むかし。お父うと子どもが、おばあをふごへ入れ、棒でかついで、山奥へ捨てにいったそうじゃ。
「おばあ、わしらは帰るよ」
といって、子どもとお父うは、山をおりかけた。
するとおばあは、
「山から帰るとき、道にまよわんように、木の枝を折っておいたから、それを目じるしに早よう帰れよ」といったそうな。
すこし歩いてから子どもは、にない棒をもってかえるのを忘れていることに気がついて、
「お父う、にない棒をわすれたで取りにいってくる」というと、お父うは、
「にない棒ども取りにいかんでもええがな」といった。
すると子どもは、
「こんど、お父うを捨てに行くときに、棒がまたいるで」
といったので、お父うも気がついて、あとがえりし、またおばあをになって帰り、大事に養ったそうじゃ。
親捨てふご
昔、むかし、妙見山に大きな竹やぶがありました。その中でもひときわ大きい太い高く伸びた竹があったそうな。
冬になって大雪がふると、その竹が、雪の重みでしわって、津居山の海までとどいたそうな。
海の貝が、その竹笹いっぱいくっついていました。
春になって雪がとけると、ビュンーともとにもどったそうな。
竹のさきについた貝が妙見山におちたそうな。
その貝は化石になっているのだとさ。
大竹
竹貫(たかぬき)には良くきく妙薬がありました。
その家には、美しいお嫁さんがきました。そしてまもなく一人の子どもが生れました。この御幸屋さんの家のお嫁さんは時々、夜、家をぬけ出てどこかへ行き、帰ってくると、そのはいていたぞうりがぬれていたそうじゃ。
家のものは不思議に思いました。
お嫁さんがどこへ行くのかみたいので、真夜中にお嫁さんのあとをつけて行きました。
するとお嫁さんは、藤井を通り、奈佐路、谷、中、八代を通り、お中門(おちょうもん)の谷をどんどん上がって頃垣(ころがき)とのさかいの庄屋の谷に入り、蛇の姿になり、すうっ・・ときえてしまったそうじゃ。
つけていった家の人は、びっくりして帰りました。
明くる朝のことでした。嫁さんは、自分の正体を家のひとたちに、しられたので、いいました。
「私はあの山の蛇体です。正体を知られた以上この家におられませんので、家を出ていきます。ここにウロコ三枚おいてゆきます。これをけずって少しづつ薬にまぜて売ってください。よくきく妙薬がつくれます。」といって、泣きながら別れて山へ帰って行きました.。
その後、御幸屋はウロコを少しづつけずって、妙薬をつくって売り、子どもを育てたといいます。子どもが大きくなると、ウロコもなくなったそうな。
御幸屋(ごこうや)の家伝妙薬
昔、むかし、浅倉村の山奥に段徳寺というお寺がありました。そこには馬頭観音さまがまつられていました。そして農家も三軒ほどあったそうな。
そのうちに、農家は本村へ出てしまい、お堂だけがあとにのこされてしまいました。
さびしくなった観音さまはある日、空を飛んで村中へ出てこられ、柿の大木にとまっておられたそうじゃ。
これをみた村人たちは、
「山奥に観音さまだけ残していたのは申しわけない」と、お堂をたてお迎えしたそうな。
馬頭観音さん
昔、まあ、話をお母さんにしてくれえってねだるんですわ。(^^)
「まあ、お前、話っちったって、あのもんですけえな、村の産神(うぶすな)に椎(しい)の木がある。
そこへ行って、こうそらふいて(上をむいて)、椎が落ちりゃあええがなあっていったら、椎がコソーンとこの鼻の中へ、コソッと落ちてしまった。
ねえさん、はなしーい」
「そのことけえな、お母さん」
ちゅうたら、
「これが話んだがな。」
鼻椎
昔、むかし、ある村での話。
正月のある日、お寺さんが年頭のごあいさつに来られました。
そのとき女中さんが、お米を差しあげるのであったが、お鏡餅を半分に切って差しあげました。
するとお坊さんは、
「十五夜に、半分の月はなけれども」
と、おっしゃった。
すると、とんちのよい女中さんは、しまったとおもったが、すかさず、
「袖にかくれてここに半分」
といって、餅の残り半分を出して、差し上げたそうな。
とんち話
昔、むかし、あるところに大変嫁いじりをするしゅうとめさんがありました。
村の人たちは、「鬼ばば」といっていました。
このしゅうとめさんはある日、うちの嫁は歌つくりが、上手だとひょうばんしているから、嫁いじりをしてやろうと思い、
「おまえは歌つくりが上手らしいが、鬼ばばの嫁いじりの歌をつくってみせてくれ」
といいました。
すると嫁は、
『仏にもまさる心を知らずして
鬼ばばなどと人はいうらん』
と歌をつくって差し出しました。これを読んだ鬼ばばは、改心して良いしゅうとめさんになったとさ。
鬼ばば
昔、むかし、大昔のこと、村はずれの一反橋の下に、気立てのやさしい、おじいさんとおばあさんが小さな家に住んでおったそうな。
その年は何時になく大雪の年で、正月から二月にかけて降った雪が、節分の日には六尺以上も積もったそうな。この村でも節分になると、豆をいって鬼は外、福は内と大きな声で豆まきをする習慣じゃった。
おじいさんのうちでも、おばあさんと二人暮らしで楽ではなかったけど、節分の餅をついたり豆をいったりして、神様へお供えして、いろりにあたっていたところ、トントンと入口の戸をたたく音がしたそうな。
はじめは風の音かと思っていたそうだが、誰かが戸をたたいているようなので、
「ばあさんやちょっと様子をみてみいや」といいました。
「はいはいどなたさんですいな」
そういっておばあさんは、表の戸を開けたところ、なんと驚いたことに、あちこちにけがをした頭に小さな角をはやした鬼の子がいたそうな。
おばあさんはびっくりしたけど、ねが心のやさしい人だから、
「まあ、かわいさあに、けがをして外にいたら寒かろうに、なかにはいれや」といって鬼の子を内に入れてやったそうな。
横座にすわっていたおじいさんも、
「この寒いのに、どないしたんじゃ、こっちへきて火にあたれえや。」
と、いって、鬼の子をいろりのふちに上げ、わけを聞いてみたそうな。
「私はこのおくの三川村に住んでいる鬼の子ですが、今日は丹後の親戚に用達しに出かけ、留守居をしていましたが、天気がいいので山遊びをしていて、とうとうここまできてしまいましたが、珍しいものが沢山あり、見ていて日が暮れてしまい、帰る道が分からなくなってしまいました。今日はおひるも食わず原はすくし何か食べるものをもらおうと頼んだところ、私を見ると」
「鬼がきたぞ、それ豆をまいてやれ」
と、いりたての熱い豆を投げつけられ、びっくりして逃げだしたんです。ほかのうちへいってたのんでみましたが、どのうちもどのうちも、私の顔をみると、熱い豆を投げつけるのです。いそいでにげて、こけてきずをしてしまいました。
このままだと家へ帰るまでにこごえ死にするかもわかりません。
「どうか助けるとおもって、飯をめぐんでください。」といって、鬼の子は、大つぶのなみだを流して手を合わせ頼んだそうな。
「なんと、むごいことをするもんだろう。かわいそうに、このまま三川村まで帰れんだろう。今晩はうちへとまって明日帰るがよかろう。ばあさんや何んぞぬくいもんでもこしらえてやれいや」といって、家にとめてやったそうな。
明くる朝、大きなおにぎり弁当をつくり、大きなお餅をみやげに持たせて人目に気づかぬよう、三川村の方向へ帰したそうな。
それから半月ほど経つた月夜の晩に、入り口の戸をとんとんとたたくものがいた。
「どなたさんですいな。どうぞおはいりください」というと、戸が開いて、入ってきたのは、この前の鬼の子と大きな角をはやいsた両親であった。
土間に手をついて、そしてこの間のお礼を述べた。
「何の何の、お礼をいってもらうほどのことをしとらんがのう。困ったときはおたがいさまですわい。」
といって、座敷に上がらせ、取っておいたお酒をだすと、鬼はたいそう喜んで、雪が消えたら畑仕事のお手伝いでもさせてもらいますと約束をして帰っていったそうな。
雪が消えて、おじいさんとおばあさんが畑へ出てみると、ちゃんと畑が耕されていた。
二人は、あの鬼がきてたがやしてくれたにちがいないと思った。それからは畑作も田作りもよくできて、くらしも楽になった。次の節分の日には鬼のくるのを待っていたが、鬼は来なかったそうな。これからは、この家では節分の豆まきはせぬようになったそうな。
そして鬼のおかげでしあわせに暮したそうな。
豆まきをしなくなったはなし
むかし、たばこすきなおじいさんがいました。用事もないのに隣り近所にいって世間話をよくしました。
「あのじいさんをこまらせてやろう」
と、いうことで火鉢に赤いてんとうとうがらしをいれておきました。目のうすうなったおじいさんは、きせるで、たばこをすいはじめました。赤いとうがらしを火とまちがえて、何べんも、たばこに火をつけようと、スパスパやっていました。
これを横でみていた、ぬいものをしている奥さんは、笑いながら、袖のない着物をぬっていました。
飯を取りながら、これを見ていた女中さんはじいさんばっかりに気をとられて、飯を半分外へ出してしまったそうな。
男しゅうは、
「ああ、しまった、人のほうばかり見ていて長い三尺わらじをつくってしまったわい」といい、三人ともしくじってしまったとさ。
三尺ぞうり
むかし、ある村に、宝ものをたくさんもって、じまんしている長者がありました。いつも宝ものの見せくらべをしてよろこんでいました。
ある日、その村で、びんぼうな百しょうが、
「おれも、宝ものを持っている。いちど宝ものくらべをしよう」といいました。それから長者と百しょうは、川原に宝ものをはこんで、くらべあうことになりました。
村人達はおどろいて見物に出かけました。長者は、あのびんぼう百しょうが持っている宝ものは、たいしたものではあるまいと思いながら、宝ぐらから、七つの宝ものを出し、川原へならべました。
びんぼうな百しょうは、川原へ子ども一人をつれてきました。
つづいて子どもばかり七人ならべました。村人たちは、どんな宝ものを出すのかと、大勢が見ていると、びんぼう百しょうは、
「この七人の子どもが、おれの宝ものじゃ」といいました。
見ているものは皆おどろきました。すると、にわかに空がくもり、はげしい雷雨が「降ってきました。雨におどろいた長者は、大事な宝ものをぬらしてこまったが、びんぼう百しょうの宝ものは、走って我が家へ帰りました。これがほんとうの子宝というもんじゃ。
宝くらべ
母の本棚にあった本から、ここ日高町の昔話を御紹介します。
編著者は日高町浅倉の秋山忠治さんとあります。
手作りの本のようですが、日高町内の各村に伝わる、ほのぼのとした話で、読んでいてとてもユックリした気持ちになりました。
日 高 の 昔 話