木鼻は「獏鼻」でした
向拝の彫刻が特に素晴らしく、また側面の蟇股には三つの蕊(しべ)の桐が彫刻されていました。
現存の本殿は永正4年(1507)に再建され、三間社流造り・こけら葺きの構成形式で室町時代中期の代表的形式のもの。
久々比神社 (式内社)
豊岡市下宮
豊岡市下宮の久々比神社に立ち寄った。
国道312号線を豊岡から久美浜方面へ向うと北近畿タンゴ鉄道の高架の近くの交差点の裏にこんもりとした森がある。
国道からは神社は見えないが、何だか曲がってみたくなって路地を入る。
入ったらすぐに赤い橋があり、やっぱり!神社だ・・・
式内社の鳥居を抜けて奥へすすむと、国道のすぐ脇なのにひっそりとして何の音も聞こえない。
<久々比神社由来>
日本書紀によれば、垂仁天皇の御宇二十三年の十月、天皇が王子・誉津別皇子(ほむつわけのおうじ)をともない宮殿の前に立たれた時の事・・・・
皇子が「これは何んとうい名の鳥だ」と言葉を発したそうです。
この一言に天皇は大変喜ばれた・・・というのも、皇子は33歳のこの時まで言葉を話す事が出来ず、赤ん坊の泣くような声しか出した事がなかったそうです。
「誰かあの鳥を捕まえて献上せよ」という天皇の言葉に、天湯河板挙(あめのゆかわのたな)が「私が必ず捕らえて献上します」と申し出て鳥の飛びゆくあとを国中追いかけたそうです。
出雲国で捕らえたとも・・・但馬国で捕らえたともいわれています。
コウノトリは霊鳥として大切にされ、その棲んでいる土地を久々比(くくい・・・コウノトリの古称)と呼び、その後この土地に神社を建て、木の神「久々遅命(くくのちのみこと)」をおまつりした・・・これが久々比神社の始まりだそうです。