中嶋神社(なかしまじんじゃ)

兵庫県豊岡市三宅1番地
御祭神: 田道間守命(たじまもりのみこと)  配神: 天湯河棚神(あめのゆかわたなのみこと)
式内社/旧県社
<御由緒>

田道間守命は、第11代垂仁天皇の御代、命ぜられて常世の国より「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ/今のたちばな)」を持ち帰られた。
これは、当時としては、菓子の最も優れたものとして珍重された。

やがて、田道間守命は菓子の神様(菓祖神)として祀られるようになりました。

現在、菓子の本社として全国の菓子業者の崇敬篤く、福岡県太宰府(菓祖中嶋神社九州分社)、佐賀県伊万里市(中嶋神社佐賀県分社)、高山市(久和司神社)、松山市(中嶋神社四国分社)、徳島市(中嶋神社徳島分社)、京都市(菓祖神社)、豊橋市(中嶋神社)などの分社が建てられている。

今日、ほぼ4年に一度開催されている全国菓子大博覧会では、菓祖神をお祀りして、博覧会の成功と菓子業界の繁栄が祈願されている。

配神の天湯河棚神は中古に合祀された安美神社の祭神で(別名・天湯河板挙命)鳥取造の祖である。また、成年になっても言葉を発することができなかった垂仁天皇の御子が「あれはなんというとりか?」と初めて話したその鳥(コウノトリ)を追って、天皇の命により各地を追跡し捕らえて献上した功によって、鳥取部の位を賜った人としても知られています。(詳しくは久々比神社のページ参照)
巨大な朱塗りの鳥居と、「菓祖 中嶋神社」の社名標

■ 豊岡市街からは、円山大橋を渡り703号線を直進した突き当たり。
■ 八鹿方面からは、312号線を蓼川大橋で右折し、そのまま直進して、五条大橋信号を直進、次の信号で左折、新田小学校手前の信号を右折した突き当たり。
■ バスでは、JR豊岡駅から全但バス「奥野行き」に乗り、中嶋神社前下車。

一の鳥居をくぐると敷石道のかなたに二の鳥居・拝殿が見える。写真右は見取り図の案内板。
二の鳥居の横には、『田道間守命生誕の地』の碑が立つ。

この鳥居の先は小さな石橋がかかり、その下を疎水が流れている。

鳥居のすぐ先に菓子業界から寄進された手水舎があり、疎水のほとりには胴体部分がアーチ型になった美しい形の灯篭が配してあった。
<アクセス>
中嶋神社の創立は大変古く、第33代推古天皇の御代に田道間守命の七世にあたる三宅の吉士、中嶋の公が、祖先の田道間守命を初めてここに祀ったのに由来している。

「中嶋」の名は、命の墓が、垂仁天皇の御陵のお池の中に中島のように浮かんでいるところから名付けられたと言われている。

第41代持統天皇の時代には更に造営が行われ、平安時代の延喜式神名帳にも登載されている。
応永年間に火災にあって社蔵の古文書その他を焼失したが、時の領主、山名宮内少輔の発願によって再建された。
応永31年11月に工を起こし、正長元年(1428)8月に竣工し遷宮を行った。これが現在の本殿で、二間社流造という類例の少ない様式を持つ上に、彩色を施し細部の絵様彫刻の精妙、複雑である点、よく室町時代中期の特長を示している。

元禄13年には出石城主・松平伊賀守が本殿を修復し、その後の城主・仙石久利は、社領34石9斗を寄進した。

明治維新となり社領は返還され、明治6年に村社に、28年に郷社となり、明治45年には本殿が国宝に指定された。

昭和に入ると、境内を拡張し拝殿、社務所を改築。
昭和10年県社となり、昭和15年~16年にわたって文部省の手により国宝建造物の解体修理が行われた。
昭和25年「文化財保護法」によって、本殿の「国宝」の名が「重要文化財」と改められた。

昭和44年には、境内を拡張し、昭和49年本殿の屋根葺き替えと塗装をなし、54年には大鳥居並びに参道を建設し、更に平成11年には大鳥居の塗り替えが行われた。
また、平成17年には本殿屋根の部分補修がなされた。

<由緒沿革>

<拝殿>
拝殿は四方が開口され御簾が掛けられた入母屋造りの美しい建物。


窓のような開口部は上から吊り上げられている扉で開閉ができる様な仕組みになっており、普段はあけたままだそうだ。


向拝部分には、綺麗な曲線を描く階段の手すりがつけられ、拝殿内の格子様の天井も、壁と天井のつなぎ部分の曲面もどこも美しい!



拝殿奥の祭壇には神事に使われる鏡などの宝物がライトアップされていて、雰囲気も厳かだった。
拝殿向拝部分。曲線の手すりが美しい/中嶋神社扁額/おみくじが結ばれた鈴の房
拝殿奥の祭壇にある宝物/御簾と窓の扉
拝殿向拝の蟇股/格子状の天井と、壁最上部の曲面が美しい
境内左から見た拝殿/境内右手から見た拝殿

<本殿>
朱塗りの本殿は、二間社流造という珍しい様式で、室町時代中期(1428)に建てられたもの。その後何度か修理・塗装が施され現在も美しいまま現存している。

明治45年国宝となり、昭和26年重要文化財となる。
とても色鮮やかな朱塗りの本殿。白い獏の木鼻が引立っていた。
本殿屋根の懸魚と斗栱/本殿前面上の彩色された蟇股(かえるまた)

<境内社>
■皇大神宮(内宮)/豊受大神宮(外宮)
本殿向かって右にあり、最近覆殿を一部修復したばかりの様子。
■秋葉神社(本殿向かって左の境内奥)
■稲荷神社(本殿向かって左の境内)
■大森神社(本殿右境内奥の右側)
■聖神社(本殿右境内奥の左側)
■若宮神社(本殿右境内の手前)
■社務所

<境内各所>
二番目の鳥居を入る前の広場の端にバスどうりに面して篭り堂のような建物がある。
現在は休憩所のように使われているが、かつては拝殿として使われた事があったという話である。

写真上の左は表の通りから見たところ(出入り口の向こうに社務所が見える)
写真上の右は二の鳥居前から見たところ。
<拝殿前の狛犬>
<神輿堂>

漆喰の白と扉の黒がとても美しい。漆喰壁の上部には、田道間守命の持ち帰ったという「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」にちなんだ橘紋の神紋が施されている。
<献上木/右近の桜・左近の橘>
菓子業界から寄進された橘と桜の植樹。それぞれに石碑が添えられており拝殿向かって左に『献橘』、右に『献桜』の字が彫られている。
<灯篭>
昭和45年、『千九百年祭』が斎行された年に、高松宮殿下が御参拝になった。
写真右は「高松宮殿下お手植えの松」
<祭礼>
毎年4月の第3日曜日(従来は19日であった)『橘菓祭』(菓子祭)を行い、神恩に感謝を捧げると共に健康と福祉を祈願する。
(上)本殿懸魚/本殿斗栱 (下)本殿木鼻/かえる股
お菓子の神様ということで、全国の菓子業者の組合などから寄進された石碑や絵馬、額、植樹、灯篭、手水舎などが境内のあちらこちらに見られる。

庭園としてもゆっくりと散策できる広さがあり、水辺の植物も風情がある。