祭神:、大雷神/須佐之男命  合祀:菅原道真(芳峰天満宮・佐野天神)
豊岡市佐野
雷神社(いかづちじんじゃ)
但馬空港から佐野へ降りた所の信号近く。信号の先を豊岡駅方向に向かって左の山側に入るとすぐに鳥居が見える。車で登れる道もあり、少し空港の方へ戻って、路地を入るのだが、目印は消防倉庫の横から上がること。
神社の創立年月は不明ながら、延喜式に列する古社であり、佐野・上佐野・納屋の三部落の氏神として871年(貞観13年)にはすでに五穀豊穣の神様として祀られていたということだ。

祭神は、大雷神/須佐之男命/菅原道真公の三柱で、春の祭礼「御田植祭」は古式ゆかしい農業祭として知られている。
私が参拝した日は朝まで雨が降っておりとても足元が悪かったので、鳥居までの急勾配に、無理かな・・と思いながら登り始めた。

簡易舗装の道は苔が濡れてとてもすべるし、しばらくいくと舗装が終わり、かなり荒れた道に成ったので仕方なくあきらめて降りることにした。

調度そこへ、犬を連れた近くの男性が通りかかったので、聞いてみると車でも行かれる道が別にあるとのこと。
さっそく教えていただいた道を行く事にした。
かなり急傾斜で細い道だったが、最後まで舗装はしっかりとしてあり助かった。拝殿の前には屋根つきの門があり、その手前に狛犬や灯篭などが幾つか見えた。
そのうしろの本殿は、1656年(明歴2年)の再建されたもの。桧皮葺きで、三間向拝付きの五間社切妻造という江戸時代初期の大変貴重な建物。棟札によれば、1656年五味備前守豊直が大工・服部清左衛門に命じて作らせたものだと言う。
金色と青のコントラストが大変に美しい雷神社扁額。左脇には「御田植祭」で歌われる歌の歌詞の額がかけてあった。

御田植祭は田植えが始まる前に、その年の豊作を祈願する祭りで、氏子が神前のイズミザクラの枝を授かり、円陣をつくる。続いて、鳥帽子(えぼし)、白装束の牛使い役が、輪の中で田すきを持って土をならすしぐさをした後、全員で歌を歌いながら桜の葉を投げ込む。そして、大、中、小の水田3ヶ所で同じ動作を繰り返して、豊作祈願は終了する。葉を投げるのは、田に苗を投げるしぐさを表し、葉を摘み取った枝は、各自が持ち帰って自分の田のあぜに立て豊作祈願のお守りとする。
イズミザクラが使われるのは、ちょうどその時期に青々と茂って、苗によく似ているからである。
「とんとんとんぎす、おんのが咲いて、おんのはとるな…」という祭りで唄われる祝詞の一節には、野花を大切にすれば三つ葉が咲いて四つ葉になり、若葉がすくすくと育って豊かな大地になるという意味が込められている。                (参考:「但馬情報特急」)




拝殿右側には由緒書きが掛けてあり、字がだいぶ薄れて読みづらいが、文武天皇の時代に但馬に山災害があり勅使が使わされたこと、延喜式の中に名神大社として連なる事、村上天皇の御世に勅使門を建て勅使を迎えて御田植祭を奉納した事、南北朝時代の康永2年(1343)に杉原伯耆守が本殿を修理し石高7斗2升5合と田および山林を寄進した事、明暦2年(1656)に五味備前守が向拝をつけて再建したこと、萬治2年(1659)鳥居を現在地に移転させた事などが書いてある。
本殿向拝上部の美しい蟇股
斗栱(左)と懸魚(右)
境内周辺の森は巨木が生い茂り、背後の杉木立も美しい。こんな森の奥だというのに不思議な事に一度も蚊に刺されなかった。神社に行くと必ず藪蚊の集中攻撃にあうのだが、ここではまったくそれがなかった。
御田植祭が行われる勅使門前の広い敷地
境内左には覆い屋の中に境内社「白玉大明神(宇迦之御魂命)」があります。(写真下)
<狛犬・灯篭>


帰りの山道も急な細道で滅茶苦茶怖かったです・・・!
でも、何とか無事に降りることができました。
途中視界が開けると、砂防ダムがみえああ降りられた!とほっとしました。