養父神社
兵庫県養父市養父市場字宮ノ谷827−3
式内社 (旧社格・県社)
祭神 倉稻魂( うがのみたま)命/ 大己貴命/ 少彦名命/ 谿羽道主命/ 船帆足尼命
大阪方面から但馬へ車を走らせると、円山川右岸の通称右岸道路を北上する。そのときに養父市場の辺りで川の対岸に見えるのが養父神社。町からはやや離れているのでとても静かなところだ。すぐ横にJR山陰線の線路が走っているが、都会と違ってたまにしか通らないので気にならない。
この石段をあがるとそこは別世界
石段を上がったところ
但馬の五社めぐりの一つなので(出石・絹巻・小田井・粟鹿・養父神社)何度も正月に参拝しているが、正月ではない普段の何でもない日に時々無性に行きたくなる場所です。実は但馬の中で一番好きかも知れません。何しろ落ち着きます!
道路から階段を上がると広場にでる。そこには土俵があり、手水舎があって、その横が鳥居。
この大きな鳥居の上に隋神門(ズイジンモン)がある。
手前が土俵のある広場、写真左端が手水舎、中央の木の裏に鳥居、画面右の屋根が隋神門。
隋神門の中にある一対の守門像
お百度石も隋神門のわきにありました
隋神門をぬけると正面に拝殿があり、その前には2対の狛犬と馬の立像があります。狛犬のうち拝殿に近いほうは狼でこの地には、狼を使令とする一対の大石があり近隣で、猪や鹿のため田畑が荒らされた場合、当社に参拝して「狼をお借りしたい」と願うと社人が、その石に繋いでいた鎖を解く。すると猪や鹿に荒らされることが無くなったという伝説があります。狼にまつわる伝承は多く、私の隣の村・宿南にも「掃部狼婦物語(かもんかか物語)」というお話があります。このHPの中にご紹介していますので宜しかったら読んで見てください
狼の狛犬
拝殿の後ろに桧皮葺入母屋造の本殿があり、屋根の上の正面と両側には鬼の面がある。
<御霊神社> 案内板より
御霊神社の御祭神は伊邪諾命、伊邪冊命であります。記紀にいう最初の夫婦の神であり、基なる親神様です。夫婦和合の守りの神であります。社殿は元の御本殿であり、応安二十年(室町時代)の建立です。この方向は皇居、神宮が遥拝できます。
境内社
<琴平神社> 案内板より
琴平神社は事代主命をお祀り申し上げ、讃岐の金平さんと同じ神様です、海運、水運また水産業繁栄の守りの神であります。円山川の水運が古代さかんであった事を物語っています。
養父神社由来
907年の延喜式神名帳には養父郡30座筆頭に夜夫座神社 名神大2座、小3座とある。
社伝によれば崇神天皇13年の創祀とある。当初は弥高山全体が神体とされ、山頂に上社、中腹に中社、現社地に下社が置かれていたと言う。現在上社中社の痕跡は残っていない。「養父郡誌」は上社を保食神と五十猛神、中社を少彦名命、下社を丹波道主命と船帆足尼命としている。
養父市場は但馬牛の牛市の中心地であった。延喜式には養父市場では五十猛命を牛取引の神様とするとあり、その頃には祭神に五十猛命が入っていたのであろう。神の前で取引・取り決めをするのは古来からの風習であり、決して裏切らない事の証であった。五十猛命の父神が素盞嗚尊とされ牛頭天王とされている。牛との関連が見える。
<五社神社> 案内板より
五社神社の御祭神は天熊人命、天照大神、素戔鳴命、月讀命、五十猛命であります。但馬五社としても、また広く本邦の国の守り神として祀られております。
※ここで言う五社とは但馬五社めぐりの五社とはまた別です。
<山野口神社> 案内板より
山野口神社の御祭神は大山祇命であります。別称は「山の口のおおかみ」と申し上げ、流行病を退けられ「つきもの」を落す神として広く信仰されています。この奥には神の滝があり、上社跡、中社跡が遥拝できます。
社殿は元禄年中(江戸時代)建立と伝えられております。
山野口神社は拝殿の前を右に進んで赤い橋を渡らずに左奥へ入ると突き当たりにある。その間の参道脇には小さな池があり、厳島神社、迦遅屋神社の小さな祠があります。背後の山を見上げると鬱蒼とした杉の木立からの木漏れ日も美しく、霊験あらたかな感じが漂ってきます。
山野口神社前の狛犬
山野口神社へ続く参道と左に池
<厳島神社> 案内板より
厳島神社の御祭神は厳島姫命であります。安芸の宮島にお祀りしてある神と同じであります。前の池には鯉が放流してあり、女性の守り神です。
古代より鯉に縁のある当神社では、鯉(恋)の宮として古えより鯉が飼育されています。二百有余年の寿命があると言われる鯉は、長寿の魚として昔から珍重されました。当神社で結婚式場は勿論銀婚式、金婚式をも挙行され鯉の長寿に肖って下さい。
<迦遅屋神社>
迦遅屋神社は奧津彦命、奧津姫命、猿田彦命、表米親王をお祀り申し上げております。別称「猫の宮」と申し鼠除けの信仰もあります。主に火除、災除けの神であります。
山野口神社への参道から元の拝殿横に戻ると美しい赤い橋があります。下の道路に面した駐車場から坂を上ったところにある社務所へはこの橋を渡っていきます。紅葉の季節には大変美しく、新緑の頃も緑と橋の朱が際立って・・・・・ここは私のお気に入りの場所です。
橋の向こうにある社務所
社務所の前を右に進むと稲荷神社、その左奥に宝篋印塔がある。
<稲荷神社> 案内板より
稲荷神社は保食命を御祭神としてお祀り申し上げており、商売繁盛、五穀豊穣の守り神として祭られております。
また、社務所のある屋敷の鬼門除のお庭神としても祀られています。
宝篋印塔
稲荷神社
<お走りまつり>
但馬の3大祭りに数えられる「お走りまつり」は、4月15日から16日にかけて、御輿が町内を横断し、約18km離れた斎神社へお参りを行います。
祭りの由来は、大昔、但馬がまだ泥海だったころ、但馬五社の神様たちが、養父町斎(いつき)神社の彦狭知命(ひこさしりのみこと)に頼んで、豊岡市瀬戸を切り開いてもらい、豊かな大地が生まれたので、養父大明神が代表として、彦狭知命にお礼参りしたことからはじまったとされています。
また、神功(じんぐう)皇后が三韓出征の帰路、養父神社に「葛(くず)の葉餅」を献上され、その一部を斎神社にお供えされたという故事にちなんでいるともいわれています。
さらに、この時養父大明神はみたらし渕に泳いでいる「鮭の大王」の背に乗ってこられたとも伝えられ、鮭を川の使い、または川にいる神とする信仰も、お走り祭りに結びつけられたと考えられています。
祭りの朝、「ハットウ、ヨゴザルカ」とかけ声をかけ合いながら、みこしは養父神社を出発し斎神社までの往復40キロの道のりを重さ150キロのみこしを担いでいきます。
現在は春の祭りとしておこなわれていますが、もとは12月ひつじの日、帰りは翌日で、古くから「未(ひつじ)走りの申(さる)戻り」といっていました。
旧暦12月は厳寒なので、川渡りが大変であったことから、明治10年(1877)に、池山の弁天(現厳島神社)祭りの日になったということです。