それ光陰の移り行くこと、流水の如く、終れる期をしる者なしといへども、人命、限りありて百歳の齢、世に稀なり。
六十路の夢、長しと思へとも、日を以て数ふれば二万二千日に足らず。
生涯の間、貴賎貧福の楽みも盧生が一睡の夢に等し。
只生々世々も消滅せずして、付き添ふものは生涯に造りなす善悪の業なりとかや。しかのみならず、子孫にまで諸悪莫作、衆善奉行の金言実(まこと)なるかな。
ここに、文安、宝徳の頃、但馬国養父郡宿南(しゅくなみ)の里に、高木掃部といふ人あり。
彼の室、ある時狼を救ひ助けし事あり。
その狼、後に深く恩を報じし物語、伝え聞き侍りぬ。されば今の代までも、宿南掃部狼の妖(ばけ)しとて、人を食らひしなど、小児を嚇す言葉に言ひ伝ふといへども、その詞区々(まちまち)にして、実説を聞かざりしに、或る老翁、わが先祖は高木の家に因縁ありて、秘せし文の次第微細に聞及ぶといへども、我れ元来無筆にて、書きとどめん事叶はず、後世に至りて、実説乱れなんことの哀しさよと言ひし故、かの老翁の物語り筆にまかせて書き留めしは、末世の男、賎の女など、小児をたらす欠伸(あくび)の伽ともならんと、拙き筆を染め、假字書きに怪賎の文をあらはし綴りて掃部狼婦物語と名づく。
見ん人嘲笑したまはん事を恥づるのみ。
このいはれ大概書き記せし旧文の雑書ありといへども、紙中破損して詳らかならざるに付、再写しおへぬ。
序