こちらも同じアマゾンと言う名前の像で、何度も描いた思い出の石膏像です。このデッサンは、高校2年のときに描いた3枚目の作品です。
アマゾーン
軍神アレース(マルス)と、ニンフのハルモニアを祖とする女武者よりなる民族。
他国の男と交わって子を生むが、男子は殺すか、不具とし、女子のみ育てた。右の乳は弓を引くのに邪魔になるというので切り取ってしまったといわれる。そこからアマゾーン(a・・・否定辞+mazons乳)乳なしと呼ばれた。


表情や形がとても好きな像でしたが、これも角度によってはとても、描きずらい事があります。特に、首の傾きが見る場所によっては極端で、全体のバランスが難しいです。

このデッサンは、高校一年の時のもので、第二枚目の石膏デッサンでした。石膏デッサンというより、ただ好きで描いていました。
アマゾーン(通称・ギリシャ夫人)
パジャント

ガッタメラータ将軍騎馬像一部
ラボルドの頭・・・
ラボルド伯爵所蔵から、この名で呼ばれている。
パルテノンのヴィナスとも呼ばれ、他にもニケの頭とも言われているが、ニケは勝利の意味でその擬人化された女神、ゼーロス(競争心)、クラトス(支配)、ビア−(暴力)と姉妹である。普通、有翼の若い女神として表現されている。鼻と頭は後補。


石膏デッサンを初めて、比較的初期に、何回も描いた「ラボルト」。
思った以上に難しい像です。この位置からは描きやすかったのですが、真横からは描きずらいです。

ラボルト
本名は、Jean Baptiste Poquelin   (1622〜1673)

古典語、法律を学んだ後、俳優を志し一座を結成しモリエールと名乗ったが劇団は破産し、旅回りの一座に合流し南仏巡業(54〜57)の頃から劇作をはじめた。
先人の影響を脱した風俗喜劇「才女気取り」で名声を確立し、つづいて「女房学校」「タルチフ」「人間嫌い」などを上演。

「タルチフ」は劇の対象とされた宗教界の反撃にあいパリ公演を中止されたが、「ドンジュアン」などで名声はいよいよ上がり「国王の劇団」の保護を受けるに至った。(1665)

翌年、最高の性格喜劇と言われる「人間嫌い」「心ならずも医者にされ」を上演。
「町人貴族」「スカパンの悪だくみ」「女学者の群れ」などを発表。
「気で病む男」の4回目上演中歿。


高校2年のときのデッサン・・・・
モリエールは好きな像でしたが、正面からは首の動きなどが難しく、アゴと首と洋服のリボンの作り出している深い奥行きの空間が出しづらいので、それらが、比較的描き易いこのアングルから描くのが好きでした。
モリエール
ジョルジュ
 サン・ジョルジュ像・・・・・
   
 ドナテルロが兵器商団体の求めにより、1416年サンミッシェル寺院の中に建てたものであるが、1866年バルジェロ宮に移され、後にはブロンズのコピーが置かれている。

 ジョルジュ・・・・・・・・

 カパドシカ生まれ。(3世紀)、キリスト教殉教者、王の娘(教会)を竜(悪魔)から守った功により英国の聖者に列せられた。(エドワード3世の時)とされている。

 高校一年のときの懐かしいデッサンです。

石膏デッサン