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 相谷と須井の境界の尾根にあったようだが、城址は未確認である。
 「佐津誌叢」によると、輪宝山城(林甫城)の配下で、沼田左衛門尉尉橘長信から八代225年間の居城であったと記されている。
        時     代    天平9年(1354)〜天正7年(1579)
        城     主    沼田左衛門尉橘長信
<城所在地図・城崎郡の9>
城崎郡香住町相谷
(あいだにじょう)
 相谷城
 余部の西側に高さ20メートル余の舌状台地があり、土地の人はここを城山と呼んでいる。山頂は500平方メートル余の平坦地であり、頭大の浜石が今も残っている。

 谷氏の陣屋があったという言い伝えが残っているが、確証はなく、時代も不明である。ここから発掘されたという五輪塔が残っている。
      城    種     陣  屋
      主な城主     谷  氏
<城所在地図・城崎郡の8>
城崎郡香住町余部字城山
(いちごじょう)
 市午城
 下浜部落の裏山、香住湾を眼下に見下ろす標高120メートルの地点にあり、俗に水が浦城と呼んでいるが城名以外のことは一切不明である。
 参考事項
<城所在地・城崎郡の7>
城崎郡香住町下浜水が浦
(みずがうらじょう)
 水が浦城
 昭和25年10月版の香住町勢概要には、次のように記されている。

「天文13年、二方指杭の城主矢谷伯耆守(ほうきのかみ)は、下浜字城山に出城を築き、一時は下浜、矢田はもとより、油良間室などもその手中に収め、大いに威を張ったが、豊臣秀吉に追われてその跡を絶った。」
 参考事項
 下浜の裏山、標高約100メートルの山頂が平坦になっており、なかなかの峻険である。ここからは眼下に香住の平野部を眺めることができる。
     時    代    天文13年(1544)ころ
      主な城主    高木因幡守
      現    状
<城所在地図・城崎郡の6>
城崎郡香住町下浜字水が浦)
(たかぎじょう)
高木城
阿瀬岩見守殿藤原重家公、元来大津膳所御居城候処(略)、当国八木ノ城ニ御移リ又、江村城ニ御越シ。夫ヨリ大野村城主ニテ天女御誕生ノ処、夫ヨリ味取村ニ在御住居候、同所阿瀬子孫今ニ有之候。

大野城主、阿瀬岩見守藤原重家、岩見守家重ハ江州蒲生郡八幡山城主、佐々木六角修理太夫ノ家老ニテ佐々木氏ノ庶ナリ。

元亀四年酉五月主家衰ヘシカバ後大野城主トナレリ。
井上城 ・ 釣鐘尾城 ・ 大野城 ・ 高木城 ・ 水が浦城 ・ 市午城 ・ 相谷城
 長井村誌につぎのように記されている。

 因ニイフ、大野城ハ一名長井城トイヘルモノナルベキコト、人物伝中ノ原家ノ脾名表ニモ知ラルベシ。且ツ該城主トシテ原氏アリシコトハ宝蔵院私記ナル新宮山仏頂寺略記ニ依ツテ見ルニ次ノ如キ記事アリ。参考マデニココニ一部ニ述ベン。

 新宮山仏頂寺ハ長井郷油良村ニアリ。往昔ハ遊行派浄土宗ニシテ七堂伽藍ノ大地ニシテ、当時但馬守・山名殿ノ御墓所及ビ加鹿野城主・野石甲斐守殿御墓所及ビ、大野城主原殿ノ御墓所、即ち菩提寺ニシテ、其ノ石碑今ニ存在セリ云々。

 尚大野城主阿瀬岩見守ニ関シテハ、二方郡栃谷村弁才天録記中ニ下ノ如キ記事ノアルヲ見ル。

   
参考事項
 矢田川の東岸、対岸から眺めると三角錘状になった標高70メートル余の山頂に築かれている。頂上には約1000平方メートルの広さにわたって平坦に地ならしされているが、現在は雑木林である。

 山麓には風呂屋の谷、殿屋敷、蒸殿などの小字名が残っている。
      時     代    天正年間
      主 な 城 主    阿瀬岩見守・藤原重家
      現     状
<城所在地図・城崎郡の5>
別名:長井城    兵庫県城崎郡香住町大野小字城山
(おおのじょう)
 大野城
1.長井村誌には次のように書かれている。加鹿野ノ西ナル山上ニアリ、丘嶺ヲ大城小城ノ二ツニ分チ、今尚、礎ヲ存シ陶土器ノ破片モアリ。城主ハ野石甲斐守ニシテ墓所ハ新宮山仏頂寺(今ノ油良村中央)ニアリ。

2.この城は、香住町内の城址の中では最大規模のものであって、城の北東部には武器兵糧などの貯蔵用に使ったと思われる穴倉跡があり、南の谷間には貯水池の備えもしてあった。

 本丸の一段高い台地には釣鐘が置かれていた為に、釣鐘尾城と呼ばれたのだと伝えられている。今ここに立つと絶好の展望台であって、この城と、志馬比城、塔の尾城がほぼ一直線上に並び、互いにその勢力を争ったありさまが容易に想像できるのである。
 参考事項
 矢田川が南から東、さらに北と城山の山すそをめぐっている。城山は加鹿野区の西側にあり、標高60メートル余の山城である。山頂に約3,000平方メートルの平坦部があり、本丸と二の丸の二段になっている。本丸の方は赤松の若木が密生しているが、二の丸の方はいも畑になっている。
   主な城主    野石甲斐守源太

   現    状

<城所在地図・城崎郡の4>
別名:加鹿野城   城崎郡香住町加鹿野小字城山
(つりがねおじょう)
 釣鐘尾城
 城の位置が矢田川をへだてて加鹿野の釣鐘尾城に対する要害の地であるので、これを監視するために篠部氏が出城として置いたといわれている。
 なお、森区の氏神社には応永年間に城主が納めたという棟札が現存している。
参考事項
大乗寺の裏山井上山の頂上(標高約70メートル)にあり、現在権現社が建てられている。約150平方メートルの平地があり、南側山すそを矢田川が流れている。ここからは旧香住町の全域が眼下に眺められる。山麓には城主・小野木氏の墓地がある。
     時    代   永正5年(1508)ころ
     主な城主   小野木玄蕃正光
     現    状
<城所在地図・城崎郡の3>
城崎郡香住町森
(いがみじょう)
 井上城
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城崎郡の城 【3】