この日は、八鹿町妙見山(標高1142m 県下第二の高い山)名草神社に但馬各地から、多数の人が参拝され、帰りには社の床の下の砂少々、お札、杉の小枝をいただいて帰り、砂は苗代にまき、お札は細竹に挟みその先に、杉の小枝をさして苗代の水口に立て、よい苗が出来るように祈ったものです。
これも昭和二十五年ぐらいまで続き現在では見られなくなりました。
 妙見参り
 釈迦が生まれた日としての、仏教行事を思い出すが、実は古い時代から伝承されている、神事の日でもあります。
 温泉町照来地区、香住町安木地区では八日花として、五月八日になるべく高い所で花を取り、天の神様にお供えするというのも、但馬各地で、てんとう花と呼ぶのも、すべて太陽に信仰する、日本古来の信仰につながるものと考えられます。
五月八日
 立春から数えて八十八日目を八十八夜と言い農作業の一つの、めやすにされていて、例えば八十八夜の別れ霜とか、八十八夜の忘れ霜とか、農作業の総点検を教えたものであります。そしてこの頃から昼寝もできたという。昼寝の始まりかも知れません。
 ちなみに昼寝の終わりは八月三十一日の八朔までとなっていたようです。途中養蚕、田植等、猫の手も借りたい農繁期に昼寝などしていられなく、六月の二十日から(村岡町福岡)等、また七月五日からとする八鹿町浅間、同町石堂などがあります。今時昼寝など・・呑気な事をと叱られるかも知れないが、まったくその通りで、これは自給自足、お金が無くとも、いっこうに苦にならないよき時代のことである。
 八十八夜
 古くから老若男女は、村をあげて山遊び、野遊びの日であったらしく、和田山町土田、養父町大藪などでは、大正の頃には村中の人が、弁当や酒を持って山登りをして、一日を楽しく過ごすのを例としていた。
温泉町海上地区では、虫も殺されない日で休日としていたそうであります。
 シガサンニチ(旧暦四月三日)
五 月 の 行 事