(つづき)
掃部これを聞き、よく見定め候へ、左もあらねば沢右衛門を招き見すべしと、人を遣し使の者同道にて急ぎ来るべし、と言ひ遺りける。沢右衛門早速馳せ来り掃部の前に手をつき、昨夜強盗押し入りせし由承はる。しかし御家内に怪我なく、先づ以て安堵せり。拙者に参るべき旨仰せ下されしは何事やらんといふ。
掃部、されば夜前我ら要用ありて主従他行せし留守を考へ夜盗5人まで押し入りしを勝之助一人にて残らず討ち取りたり。強盗の中にそこもと見知りたる者はなきや、この儀を尋ねんため急き招きし也。沢右衛門5人の死骸をよく見るに、袈裟切、又は胴切なるもあり、眉間より竹わりに切られたるもあり。
中に一人左右の腕を切り落とされたる者あり。この死骸をつくづく見て、この者こそ先立てわが家に来りし者也。仔細を語り申すべし。我ら五ヵ年前妹を連れ都に登り、さる公家の内へ奉公に差上げ、帰国の折、この者と道連れになり、互いに身の上を語り合ひしが、彼が名は多々良藤馬といふ者にて播州赤松の牢人なり。
鎗術を得たる由をいふさては何れも同じ牢人なり。若し然るべき主君に仕えなば、互に力ともなり合ふべしなど語り合ひしが、彼は何国とも定まりし住家なしといふ。わが住所を尋ねし故、但馬養父郡三谷といふ山里なる由申せしに、もしその後縁あらば訪ね申すべしと言ひて別れ、その後縁絶えて見しことなし。
然るに当夏わが方へ尋ね来り、牢人の身甚だ難渋なり。当国に召抱へらるべき所あるまじきや。思し召しの方もあらば世話致し呉れ候へと申せしかど、わが身さへかく困窮して頼るべき方もなければ、当国は山名の幕下の大小名多くありといへども、何れも郎従多くして、かく申す我らも弓道少し心得たれども、何方よりも召出されず独身の渡世さへなり難しと言ひしかば、彼の者懐より竜の姿なる珊瑚珠の文鎮を取り出し、これ御覧候へ、我らが祖父は多々良馬之助と言ひし侍にて、赤松円心の長子・信濃守則祐に仕へし者なり。この文鎮も信濃守より拝領す。
われかく牢人の身となりても、これは先祖の形見也と思ひ、今まで身を放さず。されども近年諸国の飢饉に身を寄すべき方なく、飢渇に及び死せんとす。当国は少しおだやかなる国なれば、之を買ひ取るべき方もあるべし。
御世話下さるべしと頼む故、心には染まねども追ひ出さんも心なしと思ひ、武器ならば望む人もあるべけれども、かやうの品は富家にあらずんば望む者あるまじ。下郷には百姓町人の中にも福饒者あれば当って見候へ。
我ら幸ひ下方へ用事あれば同道して行かんと申せしかば、ひたすら頼む由申すに付、城崎、豊岡など内福の方へ見せ候へ共、価高値に申すに付、買ひ取る人もなく、夫よりここかしこに内福の家を教へ候へば、美含、二方の方へ参り候ひしが、その後は来り申さず候ひしが、一両日前に又来り一宿を乞ひ候故、右の品は金子になりしかと問えば、未だ所持せる由言ひしが、さては彼悪党の同類をかたらひ貴家へ押し入りせしならん。
にくき奴ばらかな。但し珊瑚の文鎮を所持せしやよくよく懐中吟味すべし。懐中をさがしみるに、布紗に包みし物あり。取り出して見れば沢右衛門が言ふ如く珊瑚珠にして竜の貌ちを彫り現はせし文鎮也。
掃部、取りて見れば珊瑚に相違なし。さてはと思ひ寄らざる事也。若しその方を招かずばそのまま土中に埋むべきに、能くも招きし者かな。
先ず死骸をば埋めよと、組下の農夫共筵(むしろ)俵に包み河原に持ち行き埋めけり。掃部、沢右衛門を伴ひ私宅へ帰り、助次郎を以て大島兵庫の方へ、かの文鎮持たせ遣はさる。兵庫、直ちに右京殿へ持参あり。頓て御使来りければ、右京殿直ちに掃部に目見えあり。
夜前汝が宅に強盗共入り込みし由、折節無人にてありしときく。その方の手代、助次郎とやらんが一子、未だ若年の身として多くの強盗を討ち取る事、民家にては奇態の働き賞するに堪へたり。然るに盗賊の紅竜の文鎮を所持せし者ありとて先刻兵庫持参せり。
珍器なれば当時預り置くべし。勝之助が武芸をたしなみしに非ずんば家危かるべし。留守内にて家内の者多く殺害にあはばわが領内の不吉といふべし。
さるに依て寸志なれども即座の褒美を遣はすべしとあれば、大島兵庫、勝之助事、この度若輩の身として、多くの強盗を討取り主家の災難を救ひし事、非類の働き也。御褒美として以来帯刀をゆるし、青銅五貫文下さる也。
又、掃部、紅竜の文鎮を献ずること奇特の至り、御褒美として青銅三十貫文下だしおかるる也。掃部主従難有仕合御礼申上ぐる詞なしとて、悦び退出いたし、直ちに沢右衛門を招き領主の御褒美を悦び、その方知らせずば珍品を空しく土中に埋めしなるに、是れ互の仕合せなりと、頂戴せし青銅の半ばを分け、十五貫文を沢右衛門に遣はしければ沢右衛門大きに悦び、これは思ひ寄らざる仕合せかな。
貴家にあらずば、かかる御恵みに預かることあるまじ。偏に御慈悲の余慶也と悦び推しいただきて帰りける。
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