落花枝に帰らざる如く、行きて再びかへらざるは冥途黄泉の道なるべし。
鶴千代若年にして発明すぐれければ、両親の寵愛深かりしに、定命限りあるにや、十五才と申すに、優艶の姿忽ちに野辺の煙と消えぬれば、ただ白骨となりにける。
父、掃部の歎き一方ならず、別して母綾女は常々何事によらず情け深き生得なるに、愛しの病人介抱に疲れし上、歎き深く食もすすまず、鶴千代追善のためにや一間に引き篭り、唱名念仏の外他事なし。
助次郎夫婦もその心を察し、あはれ尤もとは思へども、若し深き歎きに病気などいたされてはあしからんと思ひ、気を引き立て慰めんため、夫婦もろ共諌めけるは、愛子の御別れ諦めたまひ難しとは察し候へ共、世間には五人七人の子を失ひし者例(ためし)多し。
されども子の為に親の嘆くは死せる人の罪となりて、泣く涙も紅波となりて行く道を塞ぐとかや。
御追善と思し召したまはば御心あきらめ、外の慰みにて気を晴らしたまへとすすめければ、綾女涙をおさへ、よくこそ気をつけたまはり候ぞ、さりながら、われ子を失ひし故煩ふにあらず、生死は人間の常なり。哀別離苦は仏ものがれ給はぬにや、釈尊も羅暖羅尊者を失ひ、孔夫子も鯉魚を先きたてたまふなり。
権者といへども人界の有様かくの如し。況や末世の凡夫をや。八苦の娑婆の勤めなれば、会者定離をわきまへずして驚き歎くは愚痴なり。何事も今生のみのことにあらず、皆過去世よりの因縁なり。されば、二條院讃岐の歌に
憂きもなほ むかしのゆゑと思はずば
いかにこの世を うらみすてまし
されども哀傷の捨て難きは凡夫の習ひにや、和泉式部の娘、小式部を先きだて嘆きかなしみける折ふし、上東門院より年頃たまはりける絹を無きあとまでも送りたまはりしに、小式部の内侍と書きつけられたりけるを見て、涙の中にかくぞ詠める
もろともに 苔の下には朽ちずして
埋もれぬ名を 見るぞかなしき
また大納言為家郷、寵愛の姫を失ひたまひ、かの供養の願文の奥に
あはれげに おなじ煙を立ちそはで
のこる思ひに 身をこがすかな
又、かたみにとどめられし髪を以て梵字に縫い供養したまひて
わが涙 かかれとてしもなでざりし
この黒髪を見るぞかなしき
子を失ふ者われ一人にあらず、何とて深く歎き候ふべき。されども仏に帰依し奉ること真禅御坊の御教化にあづかりしより、心に忘ることなし。
伝に曰く、真禅法印は宿南常陸之助の妾腹なりしが、若年の頃より武をきらひ出家を好み光明寺にて剃髪し、成人の後、叡山にのぼり、時の碩徳・隆尭法印に従ひ顕密兼学の宗匠なりき。
しかれども、宿縁内に催しけるにや、浮世を厭ひ離るべき思ひ深く、名利の学文を捨て浄土往生の願、ねんごろなりしが、その頃、鎮西派の大徳・向阿上人の従弟・聖阿上人と親友にして、ひたすら念仏を行じ一向専念の勤め怠らず、もとより閑所を望み、後には宿南の荘にかへり光明寺に隠居せり。
その隠居せる所、庵屋敷と号し、今にその地名ありとかや。掃部の居宅、遠からざれば、内室これに帰依し、念仏信仰せしとなり。
掃部壮年の頃は心あらあらしく仏法を嫌ひしが、綾女折々すすめられしにより、後には掃部も法印に帰依し仏法に入りしとかや。
とりわけ綾女は五障三従の罪深く、たまたま霊場ありても女人禁制にて行くこと叶はず、身を憐みましますは阿弥陀仏なり。ひとり口劫に思ひをめぐらし、兆載永劫の御修行を六字名号の御名としてたまひ、この号名を唱ふる者は女人悪人の隔てなく、一期守りて命終の時必ずわが国に迎へとらんとの御誓願なるが故に、光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨とあり。
また、一念弥陀仏即滅無量罪ときく時は、わが如き罪深く愚か者はこの外にたよるべき方なしと、度々御教化を蒙りし故、念仏懈怠なく唱へ申すなり。たとひ身体堅固の者たりとも何時頓死せんもはかり難し。
身体は芭蕉の如く風に従って破れ易しとかや。
されば鎌倉の右大将の時、由ありげなる女房、櫻の花の枝を多く侍女に持たせ御門の前を通りければ、頼朝卿御覧じて
残りなく 手折りてぞ見るさくらかな
また来ん春は 何をながめん
と言ひつつ、かはしたまひければ、かの女房とりあえず
出づるいきの 入るをも待たぬ世の中に
また来ん春の たのまればこそ
無常を心にかくる者はかくの如し。頼朝やさしく思し召して宿所を見られけるに、梶原平三景時が妻なりとぞ。われつねづね後生菩提の道こそ大事なりと思ふが故、かくは計らひはんべるなり。
先立ちし子はわが為の善知識と思ふがゆゑ、深くかなしむ心更になし。
あさましき浮世にながらへ、罪に罪を重ねんより、早く火宅の世を出で、われに菩提心をすすむるは誠の孝子といふべし。これにつき方々に物語あり。
われ十六才の年当家へ嫁したるが、七年の月日を重ぬれども一子なし。掃部殿折々子なきことを歎かるる故、われ又人の妻となりて子なきは女第一のきずなりと思ひ、進美山の観音信仰せしに、この菩薩に願ひをかけなば、一子を授けたまはんと百日の間精進し、一千遍の観音経を読誦せしが、お蔭にや二十三才の春、鶴千代をもうけしなり。
されどこの事は夫初めかたがたへも今日まで言はざりし。
鶴千代は観音の使にてわれを佛道に引き入れせんため来りしものならんと思へば、先立ちしことをば嬉しくも尊くも思ふばかりなり。
かたがたの志は喜ばしく候へ共、かくの如く佛に香花を供へ、明けくれ名号を唱ふるこそ、嵯峨や芳野の花盛りを心のままいながむるより十倍まさりし楽しみぞや。
この外の慰みは却って心の苦しみとなるべしとありければ、助次郎夫婦もすすめ申すに言葉なく共に名号を唱へけり。
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