それ、人界にして過去善悪の果報を感じ六通に輪廻する有様、たとえば車の廻るが如しと言へり。
今綾女の如きは貞心にしてよく家を治め情深くして人を憐み、心直にして神仏へ信仰もまた切なりしに、前生の因縁にや愛児を先き立て、その身初老をも待たずして親子共世を去りし事、因縁とは言ひながら、哀れなりし次第なり。
然れ共、今世の果ては必ず来世に報うなれば、後世の果報はまた頼もしくこそ見えし。
掃部は先き立ちし妻子の愛情に心を傷め、鬱々として日を送り、気を慰むる事なければ喜代若を伴れて妻子の廟(びょう)所へ参り経を誦(しょう)し、また心のやる方なき時は、老僧・真禅法印の庵へ訪ね行き、仏法の要文、因縁の遁れ難き事を聞き、仏に香花など手向け、人に会ふ事を嫌ひ引き篭り居りたりける。
ある時、徒然の余りにや、先祖より伝わりし太刀を見て気を晴らさんと、置きし所を見るに二品とも見えず。
さては妻女死去の節、心乱れ置き所失念けしかと細々尋ねけれども見えざれば、助次郎を呼び
「さて妻が病気の節、其方も存じの如く魔魅の障碍もあらんかと二品の宝剣を床に祭り、毎朝之を拝せけに、妻死去のみり、この剣も無用と思ひ、陣羽織に包み袋戸棚に収め置きしが、今見ればなし。若し其方収め申さずや」
と訊けば、助次郎は 「我等かかる事は一向存じ申さず」 と言ふ。掃部眉を顰め、 「さては外に奪われし物か。
誠に大切の宝剣なるに紛失しては残念至極、如何にすべきや」 助次郎は差俯向き、「包み置き給ひし陣羽織は如何に。」
「それは棚の内にありて太刀刀見えず。」
助次郎 「さては旦那の覚え違ひに非らず。察する所、不幸の節人多く来り家内愁傷の時を考へ、彼の太刀刀の在所をよく知りし者、盗み取りたるに違なし。
何様詮議せずばあらじ」 と言へば、しかし、余り騒がしからぬ様に吟味すべしと、主従密議しける処に、三谷村沢右衛門が来り、喪中の挨拶をなし、常の如く掃部の気を慰めんと種々の物語などしけるが、助次郎黙然として、
「さてさて合点ゆかぬ事なか」 と独言いうを聞き、沢右衛門は、何事の候ぞ」 と言ふ。
掃部は 「さればとよ、妻が病気の節、守りにもなりなんと二品の太刀刀を床に祭り置き、死去の節袋戸棚に収め、やがて宝蔵へ持ち行かんと思ひしに、家内の愁傷に取り紛れ失念し、今日蔵に収めんと見るになし。之に依って心配致すなり。」
沢右衛門これを聞きて、 「さては訝しき事なり。金銭に非ざればいくなみに人の盗むべき物にてもなし。また当家重代の宝剣なれば容易く売物にせん事も叶ふまじ。御愁傷にて置所など万一御失念は無きか。」
「いや我も左様思ひてよくよく考へ吟味すれども、包みし陣羽織ばかりありて二腰とも見えず。」
「さては御愁傷にて家内動じ給ふを窺ひ、盗みとりし謀(はかりごと)ならん。
しかし、かく御喪中と言ひ、御嘆きの中に強いて御詮議も如何なり。是はひそかに御館に御願ひなされ、御領主の御威光を以て御吟味下されなば早速相知れ候はん。
何分かかる御愁傷中なるに思ひがけなき紛失まで出来し気の毒千万、我らは独身の事なれば家内に用事なし。
御用あらば昼夜の隔てなく承るべし。」
「沢右衛門が申す処、もっとも至極なり。元来当家は領主様の贔負深く、その上兵庫殿へ勝之助相勤むる上は、方々以てよかるべし。」
早速勝之助を招き委細を物語りければ、始終を聞き、父・助次郎に向ひ、「この度の失物、察する所家内の下郎、または当所の者などの仕業に非ず。
又遠方の盗族にてもあるまじ。
御病人の守りにならんと出し置かるるを知り、類稀なる名刀なる事を知りたる者の仕業ならん。
さすれば当家にて深く出入する者に非ずんば之を知る者なし。其人々を考えるに先ずは我等親子、御姑、美含長の人々、我が伯父・池田彦太夫殿、折々申されし主人大島殿、付ては是に居合わせし沢右衛門殿、此の外はさして奥まで行く人なし。
又如何なる名刀を祭り置かれしとて内証の事なれば、之を知る者外になし。ここを以て詮議あらんには犯人は見つかり申しべし。」
しかと沢右衛門を後目(しりめ)に見、言葉を放って言ひしは、若年の眼には鋭きものと見えし。
それより勝之助を以て兵庫殿まで願ひしかば、兵庫始終を聞き、 「かかる笑止こそなけれ、掃部去冬は嫡子を失ひ、近頃妻子を先き立て愁傷添ひし上、宝物まで紛失せし事、歎きの上の心配、気の毒至極なり。
その失たる日は何時頃なるぞ、確と覚えありや否や。」
「されば綾女掃部殿此の太刀刀を床に置き毎日拝せしが、死したる日に及んで袋棚に収め置きしなり。
葬式と愁傷に失念し、今日八日目に右の太刀刀を宝蔵に収めんとせしに陣羽織は其の侭ありて、二腰は見え申さず。」
兵庫、眉を顰め 「さては失物容易に出候まじ。察する処、掃部に日頃安く出入する者にあらんか。
しかし夜前か一時夜の事ならば早速詮議の手筋もあるべし。八日に至るまで心付かずとあれば盗取りたる者、早深く隠し、詮議にあはん時、容易に見出さるる様なる所へはよも置くまじ。
又、これぞと察する者を拷問せんは易けれども、さする時は掃部の類門、ならびに出入せし者、同様に詮議せずんば贔屓の沙汰と言ふべし。
たとへ、これぞと察せし者にても確の証拠なくして万一外の事もあらば非道の沙汰となるべし。
先ず事を急がずしてよくよく世間を聞き調べなば、金銀に非さる故自然に現はるる事ありなん。
掃部喪中といひ、厳しく詮議も然るべからず。汝は早く所々の城主へ密々に手筋を以て此の旨を通じ候へ。
主人へ申上るに及ばず、其方ひそかに所々を馳せ廻り、怪しき事もあらば我等に知らせよ。先づ、隠密の詮議よかるべし。」
とある故、掃部之に随ひ、当分は打ち捨て置きけるとぞ。
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