梟あり、鳩に逢ふ。鳩が曰く、「汝は是より何所へか行く」
梟、答へて曰く、「我は之より東の方へ移らん」と。
鳩が曰く、「如何なる故ぞ。」
梟また答へて曰く、「郷人が皆鳴く声を嫌ふが故なり。」
鳩は曰く、「汝、鳴く声を改めればよからん。鳴く声を改める事能はずば、たとへ東に移るとも尚、   汝が声を悪まれん」と言へり。

 是は人間が悪性を改めざれば何方へ行きても人の悪むと言ふ譬(たとへ)故、聖人の教へに切磋琢磨をなして悪を去りよく道に叶ふことなりとあるなり。
 今、多知見藤弥の如きは之に等し。
 藤弥相果てし後、子息沢右衛門、妹を京都の公家へ奉公に遣はし、独身にて暮らせしなり。
沢右衛門は父・藤弥と違ひ、面体柔和にして人の気を破らすよlく人交る。

然けれども内心は佞奸にして邪智深く、父に勝りし性質なり。されども謀計者なれば深く是を隠して顕さず。

人に心直者と思はせ、掃部の家に来り用事あらば実意に見せて懇に勤め、よく掃部の気をとり諸人の心に随ふ故、或時は五日三日止まり居りたり程なり。

 先年掃部の家に強盗入り込みし節、盗人の中に珊瑚の文鎮を所持せし由を知らせ、掃部の恵を受けしより深く懇意を尽くし、当時は家内の者同然に交はる。

先達の強盗も内々彼が手引きなれども、即座に残らず殺されし故、是も知る者なし。

 掃部は妻子に別れてより日数積れ共、愁傷深かりければ助次郎之を案じ、主人未だ五十才に満たず、何卒よき後妻を薦めなば自然と鬱気も晴れなんと、諸々方々を聞き合せ内々進めけれども、掃部一向承諾なく、

「妻、病気の節、かかる事まで申して我が心を慰め若し世を去らば早く後妻を迎えよ等と、言ひし事、常々の貞節と言ひ、死後までも我に実義を立てんとせし志を思へば、内々後妻等娶りて喜代若を継母の手にかけん事、思ひも依らず。この事のみは再び言ひ出し候な。」

 なと、堅固に言ひ切らるる故、助次郎も詮方なく数月過ぎぬれども、掃部の心底に後妻を娶るべき考え少しも之無く察しられければ、力なく、時節を待って又薦めんと思ふ中、或時沢右衛門、助次郎に向ひ、「主人には未だ後妻の沙汰はなかりしか、然るべき事もあらば、我も御世話申さんと、折々諸方を聞き合はせ、是ぞと思ふ方一両人思ひ当りし故、薦め申さんと思ふは如何」

「さればとよ、拙者もこの事心にかかり、折々勤むれども、先妻の義理を忘れず一向承認なし。さるに依って、是非なく今まで時節を待ち居るなり。」

 「いか様当家の先妻の如き女性は、たとへ近国を尋ねる共、並ぶ者あり難し。ここに一つの思ひ付きあり。改めて後妻と名付けず、品良き女を何となく抱へ置き給はば、当国の主人たりとも、岩木ならねば、自然と心移り候はん。」

 「成程よき思ひ付なれども、日頃義堅き御方なれば、かく寡となりてよりも常に下女等へさへ夜の床をとらせず、拙者と喜代若殿へ言ひつけられ、仮にも女等に戯れらしき禍なし。

然るに顔良き女等抱へなば、それと知っていよいよ義堅くなられん。何ともすべき様なし。」と言ふ。

 沢右衛門、差し俯き暫く思案の体に見えしが、助次郎が方近く差し寄り、
「如何様申さるる通り一方ならぬ気質なれば、この思付も詮方あるまじ。

我つくづく当家主人の行末を案ずるに、最愛の妻子に別れを悲しみ鬱々として月日を送らなば、終には病を出されん事も計り難し。

 近頃、御鬱気の故か殊の外顔色も悪しく案じ参らするなり。御存じの通り、我等独り身にて便るべき方もなく、当家の御世話に預る事限りなし。

我が力の及ぶ限りは何卒御為にならんものと心に掛け候へ共、愚昧の上、身貧にして役に立つべき力なし。

 引き続きたる御災難を我が身の上の様に思ひ歎かはしく存じ候へ。されは某少し思ひ付きし事あれ共、申し付けて憚りあれば所存の趣我が口より言ひ出し難し。」と言ふ。

「言ひ難き事とは何事なるぞ。何れの道にても為よき事あらば遠慮あるまじき。承はらん。」

「されば此所へ来り給へ」と片陰に招き、「我が思ひ付の事故、申して見るばかりなり。聞かせて勤め申すに非ず。拙者一人の妹あり。
八ヶ年以前、京都のさる御公家へ奉公に遣はし置きし故、主人や其許は見られし事なし。

 我が妹なる故、決め申すには非ね共、生れ付人に勝れて智恵の聡き者なりし故、当国の館主方より妾奉公等に望まるるといえども、元我が父は武士の果、如何に身貧なりとて人の妾奉公等致させては亡父の心に叶はずと思ひ、十六歳の歳、都に奉公させ、当年二十四歳なり。

我等とて一人ある妹を遠方へ置き候も、力なく不憫に思ひ候へども、未だ独身の我家へ取戻し置いては却って他行の邪魔と思ひ、よん所なく当年まで打続き置きしなり。

先達も便りに文を下し候ひしが、未だ縁にもつかず故郷へ帰り度き由申し越し候。元来公家の内へ奉公せん上は行儀は勿論、諸種田舎の女とは相違あるべし。

 されば彼故郷へ帰り度頼むよしにて伴れ帰り、独身の拙者なれ共、妹一人に他行の留守等させ置き難き旨を申して当家へ預け、兎角の世話など致させなば、自然と主人の心に叶ふまじき者にも非ず。

然れども拙者が妹なるが故、身の勝手を申す様に思はれん事を傷み、我が口より言出し難しと申せしなり。」

 助次郎、委細を聞き、
「成程尤もなる思付なり。さりながら其許(そこもと)迷惑とならん。

この儀は如何や。」
「御用にたたずは其の時又都に上らさんに何の仔細の候べし。始め若年の時たりしだに何事もなく是まで勤めし身の今、年たけ都の様子をよくよく心得たる上は何の気遣ひ候はん。之等の事は案じ申すに及ばず。」

 助次郎は一筋に掃部寡(やもめ)となり心淋しげなるを気の毒に思ひ、尚此の女公家の内へ奉公せし者ならば、行儀は勿論、萬女なり諸禮まで心得ぬらん。その上公家は優しく柔和の者なれば、是を見習ひ心も素直なるべし。

若し家風に合わずば沢右衛門が申す如く、京都へ上らさんに仔細あらじ。

 彼常々当家を主君の如く大切に思ひ、懇意を尽す事深し。其の妹なれは旁々以てよかるべしと思ひ、「そこもとの懇切かへすがへす忝し。末の事計り難けれども、今申さるる通りならば幸の事と思はれ候故、ひそかに上京し様子を聞き給はり候へ。

若し主人の心に叶ひ、当家の世話致す様になる行かば互に安心すべし。何様本人帰らねば言ひ出す事も出来難し。」

「さらば早速上京し、様子よくば一応伴れ帰るべし。其上にも当家の役に立申さずは再び上京するとも苦しからじ。近日発足致すべし。」

 と、暇乞いして帰りける。 (次のページへ)





梟(ふくろう)鳩に逢ふの譬え
 さてまた三谷村多知見沢右衛門と言ふ者あり。

彼の父は多知見藤弥とて、当国、気多郡、上の郷の館主・赤木丹後守と言ふ。山名に仕へし者なり。

気質,悪しくして、諸人に憎まれ、その上、少し落度あって浪人し、所々方々さまようといへども、梟、鳩に合うの譬えの如く悪生のものなるが故、一身をよする所なくして、かく山深き里に住し、弓をよく射る故、里人かれに鹿、猿を射させ、山家山家を徘徊し、猪、鹿、野鳥の類を射とり、これを渡世の助けとせり。

先き立って卒せし子二人あり。

兄は男子にて今の沢右衛門なり。次は女子にて牧女といふ。親子三人、困窮の渡世に苦しむ。
三谷村沢右衛門の事