さて、沢右衛門は一人なれば心淋しく休息し居りたる所に、姿よき山伏、一人の家来を連れたるが、是も此の宿に泊りしを主人案内して沢右衛門の居間へ通す。見れば年三十ばかりにて天晴なるじ人体に一人の供を連れたれば、同室苦しからずと、一応の挨拶をなし、我が側へ招き、

「貴家は何所より何方へ御通り候ぞ」
「伯州汗入(あせり)之郡(こおり)岩根と言ふ所の威妙院といふ修験者なるが、此の度官位の為に上京すなり」と言ふ。

 「拙者も要々ありて都へ上り候が、独り旅にて徒然に候へば、明日御同道申さん」
「如何様不思議の縁にて同室に一宿仕る事、是も因縁なり。我等も家来一人にて道中淋しく候へば御同伴下さるべし」と。

 之より打解け四方山の物語りして、互いに鬱を晴らしける。沢右衛門は太刀の霧など拂ひ片脇へ置かんとせしを、山伏、沢右衛門が太刀へちらと目を付け、

「失礼ながら、貴公様の帯刀を見うけ候。世の常ならぬ天晴なる御拵かな。寸時拝見致させ下さるべし」と言ふ。

 沢右衛門、冷度(ぞうと)せしが、さあらぬ体にて、
「いや、御目に掛ける様な品に非ず。御免あれ」と言ふ。
「是非拝見致させ下さるべし」と願う故
「ならば御覧候へ」と差し出す。威妙院よくよく見、恐れ入りたる面色にて、

 「誠に御嗜(たしなみ)天晴なる御拵(こしら)へ哉。定めて内刀(なかみ)は名刀ならん。とてもの事に拝見御許し下さるべし。拙者元来太刀刀の類または拵等仕立て候事を好み慰み、かたがた内職に致居候故、善悪の差別少しは心得たる事も候。それ故、失礼をも顧ず拝見を願ひ候なり。御許し下さるべし」と言ふ。

 沢右衛門、底気味悪sく、胸先の動気静まらず苦しく思へ共、俄に断りも申されず
「さらば御覧あれ」

 山伏、太刀を五・六寸抜き、恐れ入りたる風情にて押戴き
「実に金色地肌、切刀の様子、世の常ならず、いかにも珍しき名作哉。銘は何と候」と問へば、
「宗近なり」と答ふ。
「さては推量に違はざるもの哉。是ぞ聞き及びたる名刀なり。古今に名刀多しといへども、宗近に勝りしは無し。もと此の鍛冶、都三条に住みし故、三条小鍛冶宗近と言ふ。我等度々大峯に登山せしが、山路遥に登りて宗近の太刀屋敷と名付け、今にその跡あり。

 精進潔斎して太刀を鍛へし事あり。誠に勝れし名人たる上、神仏への信仰またかくの如くなれば剣徳の勝れし事、世に類なし」と賞賛せり。

 折節下部は宿の勝手に行き、只両人なりしが、沢右衛門あたりを見回し、
「かく名刀なる事を見届けらる。上は、委細の訳語り申すなり。あなかしこ、人に漏らし下さるまじ。拙者儀は但馬山名幕下の小名に仕へる者なるが、主人武勇の誉あって太主山名公より此の太刀を拝領せられしなり。

 然るに主人武芸に勝れし者なれども、身貧にして金銀の貯なし。又心に叶ふ具足を持たず、太刀は此の外に心に叶ふ名作を持てり。されば此の太刀を金子に代へよき具足を求め度き存念にて、密かに拙者に申し付けられしなり。

 然れども太主より拝領せし太刀を売払ひし事、万一太主に聞こえなば、君の賜物を軽々しくせし罪のがれ難し。決して外へ漏れぬやう深く我が姓名を隠し、又但馬侍等言ふ事をも口外へ出すべからず。遠国より持参せし由にて汝能々計らへよと、返す返す申し付けられしなり。 

 されば但馬の侍宗近の太刀を都へ持参し売払ひし等風聞に逢はば、我は切腹せでは叶ふまじ。我が一命惜しむに非ざれども、主人の身の上大切なれば、かかる密事を打ち明けて申すなり。

 決して口外へ出し給はるまじ。此の事、深く頼み入る」と誠に余儀なく言ひければ、
「さては大切なる御密事なるを、かくとも知らず拝見を給ひしこそ気の毒なれ。我は修験にて仏神に仕える行者なれば、人の為になるべき事こそ身を尽しても為すべけれ、かかる大事を承る上は、貴名や御主名の害になるべき事ならば、假令一命を果たすとも、此事は口外へ出し候はず。御心安く思召し給ふべし」

 沢右衛門、始めて動悸治まり人心地になりけるが、心の内に思うやう、我れ計らずもこの山伏に逢ひ名刀なる事をしれり。察する所、此の者よく刀剣の善悪を知れり。我は如何程の価やあらん其の価を知らず。

 何卒天国の短刀をも見せて其の良否と価を聞き度きものなり。かほど堅く口留せし上は、よも他言は致すまじと思案を廻らし、一つの謀を案じ出し、山伏に向ひ、

 「一樹の蔭に休らひ一河の流れを汲むも皆是他生の縁と聞きしに、かく始めて御付合申せしより計らずも身の大事を打開けて語る事、なおざりならぬ因縁とこそ存じ候へ。

 此の上は某打解けて密意を明かし物語申すなり。主人此の外に一腰の短刀を渡されたり。是は先祖より代々主家に伝来せられし守刀なりしを世に珍しき刀なりとて、大主の奥方聞き及ばれ、差上ぐべき由仰せられしを、主人の父・深く之を惜しみ、先代に紛失して当時之無き由申上げられける故、人に見られん事を恐れ、深く隠し置かるといへども、後年に至り人の目にかからば、我が父大主を偽りし咎、遁れ難し。かく禍の種ともなるべき者は子孫に伝へまじ。

 されば此の度此の太刀と共によき価にもならば売払へよと言付けられしなり。是も宗近の如く主家に対して訳あらば、世間に漏るれば尚以て害となるべければ、よくよく心得べき旨堅く主命を蒙りしなり。

 誠に主人の密事なれば、拙者が為には一命にも代へ難き大切の役儀故、口外へ出すも憚りありといへども、貴客の御心底堅気の御胸中を推察致し候。何卒此の短刀の真偽を御目利下さるべし」とて、錦の袋より白鞘の短刀を取出す。

 威妙院之を見るに鞘の上に天国(あまくに)作の書付あり。抜き放してよくよく打ち眺め、又鞘に納め袋に包んで押戴き、
「是は世に稀なる珍剣かな。斯かる名作を伝来せる御貴君の御主人は天晴なる御家筋にてましますらん。然るに今この宝を売払はんとの御事いたはしくこそ候へ。

 貧は諸道の妨と申す事の候が、勇に秀でし武士も貧の道は是非なき事あり。此の天国の作は天下の宝剣にて、守刀には此の上あるまじ。是我が朝太刀の元祖にて、作者も亦最上の名人なり。神代の昔より人皇に至りても、天国までは剣と申しても両刃なるを用ひしに、天国は名人なる上両刃の剣ならざるを考へ、剣を二つに断ちて片刃とせり。

 今の太刀是なる故、之を元祖とす。されば此の天国の作には剣と刃との二品あり。昔皇十五代神功皇后三韓を攻め給ひし時、皇后は天国の御剣を帯し給ひ、武内大臣は真剣の剣を帯して新羅、済、高麗の三韓を従へ給ふと言へり。

 其の後かの御剣九州宇佐八幡宮の宝殿に納まりしとかや。かかる無双の名作なるが故に、末世不徳の凡人此の作を所持するならば、剣の威に恐れて祟りを受けると聞く。誠に不思議の御縁によってかく名作を拝見するものかな」と、賞美しければ、

 「我も名刀とは聞き及びしかど、か程のものとも思はざりしに、貴客に逢ひし故深く因縁を聞きしは、我が仕合せなり。貴客は都に上り給ひて数日御逗留ありや」
 「いや我等この度の上京は官位の為ばかりなれば、四・五日ならでは滞留仕らず」
 「さて、打ち入って貴客に御頼み申し度事あり」
 「御頼とは何事なるぞ」
 「されば某事元来田舎侍にて、京都の不案内なるにかかる隠密なる大切の仰を蒙りし故、種々御断り申上ぐるといへども、汝が外に申し付る者なしとの主命なれば、是非なく父母妻子へも深く隠せしなり。

 此事世間に漏れなば拙者は勿論、第一主人の御家に関はる大事なれば、殊の外心配致し候なり。都にて我が面体を知る者なしといへども、代に稀なる太刀刀を商はんとせば、自然に人の風聞に遇はん。又此の密事第一に隠したきは、但馬の太主山名公御内の人なるに、山名公は将軍の出頭の太主なれば、室町は言ふに及ばず家臣洛中に多からん。

 我深く之を恐るるなり。されば此の太刀刀、貴客の物と言ひなし、武家には見せずして町家の商人に御見せ下されば、よも知る者あるまじ。

 此儀を御頼み申度候なり。若しよき価になりなば、貴客へは厚く御礼申すべし。又この儀に付、たとへ幾日都へ御逗留ある共、御主従の御雑用拙者賄申すべし。かく申せば不正の品にてもあらんかとの御疑もあるべきなれども、此儀に於ては神仏に誓ひ偽申さず。

 何を申すも主人の為故、御願申すなり。不思議の御縁にてじっこんに相成り、その上、太刀刀の因縁まで申述べ、主人の密事を打明けて御物語り申す上は、是非頼まれ下さるべし」と只管頼みける。

 威妙院訝しとは思へ共、謀言とは知らず、沢右衛門が申す言葉ももっともらしき事なれば、かほど頼むに断りも成り難く、その上天国の短刀は我が身も望みあれば、価により求めたく思ひける故、

 「成程貴君様申さる通りならば、表向に武家方へ晴れがましき商なり難し。併しか程の品を御世話申すならば、疑ひ申すには候はね共、御主名と貴公様の御住所御姓名委しく聞き届け、確かなる事を会得せし上は、品により行き届かず乍ら御世話致して見候はん」と言ふ。

 「成程御尤の事なり。か様に御頼み申す上は、御尋ねなく共此方より委しく主従の姓名名乗り申候ふべし。主人は但馬気多郡高嶋と申す所の小名・和田内膳と申す山名公の幕下なり。拙者は鹿嶋伝重郎と申す者なるが、父は鹿嶋民部と申す小身の者に候へども、老人故、諸士頭となり居候。

 此の度の役儀は主人の事ながら恥かしき密事故、拙者へ只一人の供さへ付けられず、か様に物語申すも面目なく候」と言ふ。

 「此の上にも御疑ひ給はらば御帰国の節、但馬へ御訪ね下さるべし」
と、跡形もなき事を水の流るる如く口に任せて言廻しける故、威妙院偽とは思ひ依らず。

 「か程委しく物語り承る上は、何をか疑ひ申すべき。御主人君へ忠義の為とならば、愚味ながらなるたけ御世話致して見候はん。我等修験の身と言ひ、遠国の者なれば、隠し商には幸の事なれども、売物と申す物は、之に限らず、望む相手多く出来てこそ思ふ様に商致しよく候へ、かく何とやらむ上のつかへたる売物なれば、思召に叶ふ様の価には成り難かるべし。

 今諸国騒がしき時節なれば、武家方へはればれしく披露ならば、思ひのままに価を得られんなるに、内々にて町家の商人等に払ひなば、たとへ如何なる名剣なりとも、其の身の利得を得んが為、高金にて買ひとるまじ。惜しき次第なり」といふ。

 「成程仰の通り隠密の売物故、買ふやうに売り上げ難き事はかねて覚悟の上なり。但し貴客の御眼鏡には如何程位の価に成るべしと思召給ふぞ」

 「されば大名商家に望の方あれば一千貫(今の通用銀十貫匁なり)の価と言ふとも苦しからぬ太刀なれども、内証にて町家の商人等に売払ふ時は、十分が一・二の価格なるべし。今此所にて何程と言ふ事知れ難し。何分貴公主従の御運次第なり。」

 「さればとよ、我が国元発足の節主人に価の事も内々に伺ひし処、太刀刀両方にて三百貫(今の通用銀三百匁なり)にならば払うべし。其の上は掛り口に商ふべし。然れ共、値段よく売上げんとして世上の流布にかからぬやう計らひ申せよと申し付けられしなり。其の思召にて御世話下さるべし」

 「京都にて太刀刀の類を取り扱ふ商人少々知りし方もあれ共、何様金子多分に取り扱ふ商人に非ずんば然るべからず。貴公様にも思召の方へ見せ給へ。余り事を急ぎては却って仕損じるべし。明日は同道致す事なれば、道中にて示し合はし申さん」

と、其の夜は此処に泊まりける。 (次のページへ)














 
沢右衛門山伏威妙院に遇ふ事