明れば両人打ち連れ都へ上り、沢右衛門、威妙院に
「貴客の宿所は何方に候ぞ」
「拙者は是迄三條の旅籠屋へ着候。此度も彼所へ逗留すべし」
「我は清水辺に少したよりある故、彼所へ参り候なり」

 宿所の名印間違なき様にと互に書付を取り替はし、先づ両人、威妙院が宿所、三條に着く。
沢右衛門、太刀刀を威妙院の前に置き、

「面倒乍ら之をば貴客御預り下さるべし。右の訳なれば清水よりは余程間もあれば持廻るも如何なり」
「仰にて候へ共、未だ昨今の此方なれば、大切の品を預かり申さん事、甚だ気遣はし。貴公様御所持あって一両日の中に御持参あるべし。其の中にはめ口を聞き出し、家来を以て知らせ申さん。貴公様にも思召もあらば御見せなし候べし」

「いや、先達物語り申す通りの訳なれば、我れ侍の姿を替へ貴客の召使の様に執り成し下されば、始終共、心安かるべし。御気遣はしく思召給はば宿の主に預け置き下さるべし」
威妙院、尤もなりと亭主を呼び、
「此の太刀刀はさる隠方より預かりし大切の宝物なり。万一の事あってはならず。其許預かり置き給はるべし」

 亭主畏(かしこま)りて二腰共預かりける。沢右衛門思ふやう。誠に是天の助けなるべし。よき者に会ひしもの哉と思ひ、
「拙者は清水へ参るべし。明日御目にかかり候はん」と、急ぎ彼の方へ趣きける。もと沢右衛門、妹を公家の家へ奉公に遣はし置きたりと国元にては披露しけれ共、実は八か年前、清水の茶屋へ十ヶ年限りに勤め奉公に売り置きしが、先達て掃部の太刀刀を盗みとり、之を商して妹を受け出し、金子の余分あらば我が渡世の助にせんと思ひしが、名高き太刀刀なれば当国は勿論、他国にて万一顕はれては大事と案じ煩ひ居たりしに、此の度威妙院に合ひしを幸ひ謀計を廻らし、彼に偽り商させんとせしはよき思案と見えし。

 それより沢右衛門は妹の奉公せる茶屋へ行きしが、亭主、沢右衛門に向かひ、
「よくこそ上京ありし、定めし御悦びの事なるべし」と言ふ。
「悦びとは何の事ぞ、妹へ早く対面さえ下さるべし」
「未だ対面し給はぬにや。御用あらば妹御の宅訪ねあるべし」

沢右衛門、合点ゆかず、
「然らば妹は当家には居申さずや」
「さては様子を未だ御存じなきか。去年其許御上京の節、妹御御国元へ帰り度き由、申されしを未だ帰ることは叶はぬ由申され候故、深く恨み居られしが、其の後、さる人に受け出されて、只今、四條の町家へ住居致され候なり。

 尤も見受けの金子少々不足ありけれ共、最早勤めも末短く、其の上辛抱に勤められし故、先方へ遣はし申せしなり。

 其の節、国元へ此の訳通達せんと言ひしに、妹御此方より便りすべしとの事なりしが、さては今迄国元へ沙汰なかりしや」
沢右衛門様子を聞き、案に相違して、
「さては存じ依らざる次第哉。我此度見受の金調達せし故、連れ帰らん為上京せしなり。さらば彼が住家へ御案内下さるべし」

「さらば案内申さん」と、四條へ伴ひ行きければ、沢右衛門彼女に対面して言ひけるは、
「只一人ある其方へ数年苦労の勤させ口惜しく思へ共、不幸にて金子手回り申さず、よんどころなく八ヵ年の月日を送りしなり。兄の心察し申さるべし。
然るに此の度漸く見受けの金子調達の手掛かり出来申せし故、様子よくば国元へ連れ帰るべき為上京致せしなり」と言ふ。

 牧女涙を流し、
「先年清水へ勤め奉公に参りしより、余りに辛き奉公故故郷恋しく思へども、すべき様なかりければ、兄上を怨み怨み日送りしが、去々年上京なされし時、何卒国元へ伴れ帰り下さるまじやと頼みしをつれなくのたまひし故、心の中に怨み候ひしに、今また国元へ伴れ帰らん為御上京下されし事、兄上の御慈悲嬉しく存じ、怨みし事の惜しさよ」と、兄の足の湯等とりて労はりもてなしける。

 茶屋の亭主は外に用事あれば暇乞して立ち帰る。
沢右衛門は存じの外の事とは思へ共、外によるべき方もなければ、さらば世話に預からnと座敷へ上りけり。妹酒肴調へ悦べる気色なり。沢右衛門妹に向ひ、
「其方のJ事只一人ある兄妹なれば斯く遠方に置きし事心元なく此の度は是非とも故郷へ伴れ帰るべきつもりなるが、如何思ひ候」となり。

 「仰に随ひ帰り度く候へ共、計らずも深き馴染みの方候ひて、去年の春見受けに預り此所に住居候也。こことても貧しき渡世にて心には染まずといえども、深き契りの縁なれば不自由の事は心苦しくも思はず、勤めの奉公に比べては十倍勝りて心易く候故、斯く狭苦しき家なれども御安心下さるべし。主人にて候人も今日は外へ出られ夕方には帰り候べし」

 「亭主は如何なる商売をして渡世せらるるぞ」
「我が夫は具足の手入れ等をよくせらるる故、さる御屋敷の具足師の方へ頼まれ、毎日先方の屋敷へ参り候」

 沢右衛門、さては此の屋の主人とても心許しはなるまじ。武家へ入り込めば太刀刀の事明かし難しと思ひ、
「其方事、この度国元へ然るべき事あるに付き伴れ帰り度く思ひし処、かく身受けせられし上はちと我が所存違ひに思ふなり。若し渡世格別難儀にて国元に帰り度く思はば伴れ帰り申すべし。尤も金子工面せし上は其方が心次第なり。」と言はれければ、

 牧女「兄上の御慈悲有難く存じ候へども、我が夫も相応の人にて候ひしが、我故に余程の金を費し、それ故に親の家も追出され、今は日々の賃餞を得て日を送り申さるるなり。高きも賎しきも女は夫に実意をたて候はねば道に背くなるべし。其の上我が身に金銀を費し身受をして給はりし恩を忘れ、如何なる富家へ縁付き候ひても悦ばしからず。假令如何なる貧しき世をば渡るとも夫へ不義理は成難し。」と言ふ。

 沢右衛門了見違ひには成りけれ共、何ともすべき様なく、太刀刀も未だ金子にならねば、少々用意せし路用金は遣い果たし、売物を金子になるまでは心も落ち付かず、越方の物語して居る所に亭主帰りければ、牧女、夫に向かひ、

 「今日国元より我が兄上訪ね来り申されし」と言ふ。
「それは珍客哉。先々御目にかからん」と言ふを見れば、人体よく歳の頃三十ばかりの男なり。沢右衛門、主に向かひ、

 「拙者は牧女の兄にて候が、ちと此度用事あって上京致し候処、妹儀貴君の御世話に預り、御養ひを蒙り候由、千万忝く御礼申し尽くしがたく候。斯くとは知らずこの体にて参り御世話に預り候」と挨拶す。

 亭主悦んで、
「夫は能くこそ御訪ね下され忝く存ずるなり。併し見苦しき住居、甚だ以て恥入候へども、心易く御逗留下さるべし」と、互いに打解け物語して休息す。

 明くれば沢右衛門、威妙院へ宿所の違ひし事を告げ知らさんと夜の明くるを待ちかね、妹へ「急用あれば三條の辺りまで一寸参り、追附け帰るべし」と言ひ置き、威妙院が宿所三條へ行き、
「拙者清水に手寄りの者ありし処、去春四條へ所替致候に付、拙者も四條へ宿し候へば、此旨御案内申さん為、未だ朝飯の支度もせず急ぎ参り候」と、我宿所の違ひし事を語りければ、

 「それは御宿所近くなりて相談の都合よかるべし。夜前刀商人の事此所にてよくよく聞き合せ候処、商人の者処々に多けれども、尚三條の刀商人に勝れしはなき由承るに付、今朝右の品、当って見度思ひし処、早明に来り給ふこそ幸なり。然らば此所にて一緒に仕度致し候はん。其上同道して参り候べし」と。

 かくして両人刀商人の方へ行き、彼の太刀を商人に見せしに、商人よくよく見終り、「誠によき太刀なり。目利きの為に御持参ありしや、又は売物なりしや」

 「是はさる者より頼まれし太刀刀なり。よき価にならば、価に依り申すぜし。」
 「如何程の価にて御払ひ候や」
 「されば望人によりては千貫にもなるべき太刀と存ずれ共、俄に金子入用に付よんどころなく売払はんとの事故、先づ其許より目一杯の所をつけて見られ候へ」

 刀屋の主、よくよく見定め、暫く考え、
「さらば至極よき太刀に候へども、かようの品は、よき望人の出来るまでは何時までも所持致すべければ、当時、金子不自由の時節なれば格別高価にては申し受け難し。
また、金子、引替に非ざれば御払ひなさるまじ。一両月の間、代金延引下されば、三百五十貫位までは出し申すべけれども、今日差金にては三百貫ならでは受け難し」

 沢右衛門、心を落付け悦べる顔色を見、威妙院、天国の白鞘を出し、
「然らば此の方は如何程に相成るべきや」

 商人之を見て、「さても貴君様には珍剣を所持なさえしもの哉。是は格別稀なる作に候へども、拵え(こしらえ)なき短刀の事故、大金にはなりがたし。今六十貫位なれば申受け候べし」

 沢右衛門は早く売り度き様子に見えけれども、威妙院、色を見せず、
「成程其許の申さるる所、尤もなり。され共価段と了簡に相違候へば暫らく思案致すべし」
「価段御心に入り申さずや。併し他へ御見せなされて、若し我が付け候価段より下値に候とて又拙者方へ御持参なされても、其の時只今付けたる程の価段には得買申さず。我少し思ひ付のはめ口見当り候故、我が所存より高価に付け申せしなり」と言ふ。

 沢右衛門は始より二腰三百貫(今の通用にして銀三百匁なり)なれば、十分幸せと思ひし処、六十貫も価段よく言ふを聞き、威妙院を片陰に招き、
「右の価段ならば御払ひ下さるべし。若し外によきはめ口なき所は詮なし。其の上一日も早く金に致し度き事に候」と。

 「左様思召し給はば如何様にも致すべし。併し拙者は此の他に今一応見せたき方あるが故、かくは申せしなり。」
沢右衛門心急ぎ
「いやいや、右の価ならば少しも心残りなし。早く御払ひ下さるべし」
「さらば商申すべし」と、又主人に向ひ、
「とてもの事に商致し候へば、太刀を四百貫に買取り給へ。然らば譲り申すべし。」
商人暫らく思案せしが、
「三百三十貫にて申受け候べし。其の上は望なし。何方へなりとも御見せ下さるべし」
「さらば譲り申すべし」とて、太刀を渡しければ、早速切金三百三十貫を積かけ渡しける。

 威妙院、よくよく改め金子を受け取り、
「短刀は如何」と問ふ。
「之も六十貫ならば申受け候はん。其の上は望なし」と言ふ。
「然らば之は明日迄の思案に致し候はん」と、威妙院、懐中しけり。

 沢右衛門は宗近の太刀を己が心当りより価段よくなりし故、心中大きに悦び短刀の事は何とも言はず、両人打連れ三條の宿所へ帰りける。

 威妙院、沢右衛門に向ひ、
「此の短刀は品により拙者に譲り下さるべし。尤も商人は六十貫と申し候へども、五十貫にて給はり候へ」
「御望みならば価に及び申さず。元来太刀刀共に三百貫位にならば払へよと主人の申付なり。然るを太刀にて三十貫売り上げ給はりしは是偏に貴客の御世話にて、首尾よく御働き下されし故、即時に金子となりし事、拙者が安心、言ふ計りなし。さらば短刀は此の度の御礼に御用立て申すべし。価を申受くるに及ばず」

 「いや左様にては我が心に叶ひ申さず。元来太刀刀共貴君の物に非ず。皆御主君の宝と宣ふ。然るに金子入用に付貴君を以て売払はれしは、よんどころなき事に候べし。されば少しにても売上げ主人に渡し給はば忠となるべし。貴君、京都不案内にて我を御頼みなさるゝ故、御世話申せしなり。我等此度官位の為登りし故、五・六十貫の金子をば所持せり。然るを商人六十貫にて買取るべきものなるを五十貫にて申受けし事、本意ならずといえども、金子ありたけ手放し候ひては遠国の拙者主従当惑に及ぶべし。

 ここを以て十貫下値の処を此の度の世話料と思召し、我等に給はり候はば過分の御恵みなるべし。されば此度の官位少し延引致す迄の事なり。我一先国に帰りなば、五十貫や七十貫は早速工面致すべし。貴君は又一刻も早く御帰国候はば御主人への忠義となるべし」とて、金子を取出し五十貫積り沢右衛門に渡す。

 辞退すれ共承知せず。
「御主君の宝を商ひ、其許私の計らひし給ふは道に非ず」と、言ふにつき、
「然らば受取り申すべし」とて受取りける。
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附  威妙院を頼み、太刀刀売払の事
沢右衛門 妹牧女に会う事