さらば沢右衛門は威妙院に別れ、金子を懐中し三條の宿を出で、金のあるまゝ妹の土産物等心の侭に調へ四條へ帰りければ、妹不審に思ひ、

「さらばとよ、此の度上京の連れ三條に居らるに付、寸暇(ちょっと)知らせたき急用ありし故、直に帰るべきつもりにて参りし処、計らざる用事出来し思はず時を移したり。

 又其の方の身の上かかる事とは知らず。未だ清水に居ると思ひ何の用意もなく訪ねしが、之へ受け出され夫婦住居せること今日まで知らざりしなり。

 さるに依って悦びの為、寸志の品なけれども土産の心持なり。
とて、よき着物一重、帯一筋、又亭主へは切金拾貫文を音物(いんもつ)として差出す。牧女大きに悦び、
「是は思ひも依らぬ御音物哉。夫も今日は珍客の御入なれば屋敷へ断りして饗応申さんと言はれしに、御用事ありとて今朝何方へやら御出ありし故暫らく待たれけれども御帰りなき故、千本の屋敷へ参り断りしと、兄上を尋ねに出られしなり。追付帰りて悦び申さるべし。

 如何なる御幸せありしにや、斯かる御音物に預り、夫の手前外聞と言ひ御礼申し尽くし難し」と言ふ。
「さらばとよ、其方の事明暮心にかかり、何卒して斯かる苦労の勤をさせまじと種々に身を砕き、漸く見受の金子工面せし故急ぎ上りて見れば、早受出され人の妻となりし故、工面せし金子何かせんと思ひ、せめて寸志の音物なりとも調へん為、今朝外へ出しなり。

 それはさて置き、此度我が隣村宿南の里に高木掃部殿とて富貴の人、妻を失ひ寡にて暮されし故、其の手代助次郎と言ふ人、其方の事を聞き及び、後妻に申受けたき由我等を頼み、金等を工面して此の度上京させられしなり。然るに斯く人の妻となりし上はとても国へは帰るまじ。

 されば我は先方へ言訳なし。この事当惑に思へ共力及ばず、元来我等常々掃部の世話になれる者なれば、今度其方を伴ひ帰らねば不義理となりて国へ帰り難し。よき思案はあるまじや」

 と言ふ。牧女之を聞き、「それは気の毒なる御事哉」と言って差俯向き暫時思案して居りたりしが、「我が身は右申す通りの訳なれば、とても帰る事ならず。其の掃部殿と申す人も、又助次郎と言ふ手代の人も我を見られし事なければ、我等に優りたる女を妹牧女と言ひなして伴れ帰り給はば苦しかるまじ。

 元来三谷の里は我が居し事は僅か二ヵ年なれ共、父は浪人にて深き馴染みの方もなければ常々外へ出し事もなく、近所少々知る人あれども我其の時は漸く十六才、今二十四才となりし故風俗変わりたると思ふべし。

 是に付き思ひ当る事の候、夫の姪娘あり。我より年二つ上なれ共、風俗我に似たりと常々夫申さるるなり。又器量は我より遥か上の生付きにて、先年室町のさる御屋敷へ腰元奉公致されしが、今は公家の家へ奉公して居らるるなり。

 此人も不幸にて両親もなく兄御一人あれ共、悪生の人にて金を費やし家もなくなり身の置き所なき侭に妹の着類残りなく盗みとり行方知らず。妹身一つになり難儀せられしが生れ付き美なる故、方々より妾等に世話せんと言ふ人あれ共、何分着類なく着の侭にて公家の家へ当分水仕奉公して居らるるなり。

 成るべき事ならば此の人を我が代りに伴れ帰り給はば幸の事なるべし。」と言ふ。

 沢右衛門始終を聞き、
「其方の言ふ通りならばよき事なり。着類のなきはさして困る程の事に非ず。何様其の人を見たきものなり。」

 「やがて夫も帰るべし。其の上此の人を招き候はん。御覧候へ」と言ふ。

 程なく亭主立ち帰り
「御客人は御帰りなされしや。早朝よりの御出如何と案じ所々方々尋ねけれども御行方知られざる故、心元なく其方へ委細を尋ねんと思ひて途中より帰りしなり」と言ふ。

 牧女音物を取り出し、「之見給へ。兄上は昨日迄清水へ居るならんと思ひ何の用意もせず上りし故、悦びの印土産の用意をせんと早朝出でし由申され候。これ御覧候へ」と差出す。亭主よくよく見て、

 「是は思ひ依らざる御音物哉。斯く見苦しき我等なれば、御心に叶はずして御立出なされしならんと、心苦しく気の毒に存じたりしに、斯かる御厚情の土産に預る事、露ばかりにても知るならば御留め申すべきに、痛み入りたる仕合せなり」

 沢右衛門立出で、「いやとよ、何ぞ御為になるべき様の品を持参致し度く存ずれ共、困窮の上独身の某なれば力及ばず、初見参の印、御挨拶恥かしく候」と言ふ。

 牧女夫に向ひ、沢右衛門が言ひし掃部後妻の事委細物語りければ、亭主よくよく聞き、「さては思召し違ひに相成り候とや、それは気の毒なる次第哉」と言ふ。

 牧女亦夫の姪娘の事、並びに委細の様子具に語る。主よくよく聞き、「其の儀ならば何より易き事なり。併し沢右衛門様、之ならば妹牧女なりと思召す様にあらずんば叶ふまじ。何れ此の女を此方へ呼び寄せ、よくよく御目にかけ、又彼が心掛など御承知下さるように計ふべし」と。

 沢右衛門に向ひ、
「委細の訳妻が物語に承り候。申す旨に相違なきや」
「成程妹が申す通りなり。其の女中の事、我等とくと見申さねば相談決し難し」

「さらば御覧下さるべし。併し彼が参りて後言ひ難き事をば、御心得の為只今申し置くべし。彼参りて、若し御心に叶ひ伴れ帰り給わりても能々心得ざれば末に至りて人の家を破る様の事、世にまゝあるものなり。生まれつき美なりとて賞するに足らず、遊芸等に達し、諸事器用なりとて良しとするに非ず。只女は貞心を先とし、よく家を治める事にあらずんば女の道に候はず。


 
ここを以て案ずるに、彼の女と申すは拙者が為には姪にて候が、生れつき眉目良く、姿は妻等より勝れ、又智慧敏く、女の芸一通りはよく心得たる者に候へ共、拙者呑込み申さぬ事あり。先達室町にて、さる御屋敷へ妾奉公致し候ひしが、彼の御主人他の女に心移りしを怨み、主人の心移りの女を呪咀せしと内々聞及ぶ。

 それ故御暇出しなり。実に嫉妬深きは女の第一の傷なり。我これを傷む。貴君様御国元にて力とも頼み給ふ御家へ、見知り給ふ人なきが故に、拙者が姪を御身の妹牧女なりと偽り伴れ帰り給ひて、末に至りて若し不届の事あらば、御自身の恥のみか御両親達迄の恥なり。是を以て申しがたき事まで打明け申すなり。併し彼も近頃殊の外なる災難にあひ、難儀致せし者なれば、よくよく意見を加へなば、以後を慎み心改め候はん。妻が思ひ付きの事なれば、やがて呼び寄せ申すべし」とて、亭主迎へに行き、早速連れ帰りける。

 沢右衛門陰よりよくよく見れば、其の顔麗しく、妹牧女等には遥かに勝れ、風俗気高き美女なれば、思はず見とれてにっこと笑み、何とやら心浮かれて覚えける。

 牧女、彼の女へ、
「近き所の富貴なる方へ御世話致し度き由申さるるに付き、招きしなり。細々の事は兄上より聞き給へ」と言ふ。

 彼の女「されは思ひ依らぬ御事哉。我が如き不幸の女を御世話下されんとの御事有難き幸なり。さりながら兄上の悪性にて、着類、手道具迄残りなく取られしよう、水仕奉公も勤まり兼ね心憂き身の辛さ言ふばかりなく候。其の上我が如き不束なる者、但馬とやらんへ伴れ帰り下さるとも御用には立ちまじければ、御世話になる計りに候はん。斯かる御厄介になり申さんより、如何なる賎しき憂き勤めも我が兄上の故と思へば諦め易し。是より御断り下され宜しく御礼願ひ上候」と言ふ。

 
沢右衛門始終の様子を窺ひ見れば、弁舌しとやかにして姿の派手やかなる事、掃部の先妻綾女にも勝りて見えければ、心の内大きに喜び此の女を伴れ帰りて人の妻にせんよりも、何方へなり共伴れ行き我が楽しみにしたきものなりと思ひ、又妹が偽り者と思はんも由なく如何せんと心乱れ、何とも心落ち付かず、ただ何となくうかうかと笑を催し居りたりける。

 牧女彼の女を伴ひ、沢右衛門の側に行き、
「先程御世話申せし人なり。思し召しに叶ひなば御世話下され候へ」と言ふ。
彼の女沢右衛門に向ひ、
「私事は此家の世話になり候不束なる女に候が、御世話下されんとの思召しを蒙り候と姉君の御話に承り、有難く存じ上候」と、身を引き下がり挨拶す。

 沢右衛門、襟を掻き合せ、
「我は牧女が兄にて候が、はからざる災難集ひ不幸に会ひ、心ならず奉公させし処、此度国元へ伴れ帰らんと存じ上京して様子を聞けば、当家の御世話に相成り御養育を受け候事、満悦に存じ候へ共、此度我等上京せしは我が隣村富家より妹を貰ひ申すに付き、粗方約束せし事なるに、彼を都に残し置き我一人帰国しては先方へ不義理となり、始終拙者が身の為ならず。

 然るに妹が申すを聞けば、其許未だ嫁せずして居らるる由、幸の事なれば我が妹として帰国はば、其許も身の為悪しき事は非ずと、これ迄招き候なり。何卒但馬へ御下りあらば拙者も幸なるべし。万一其許御心に叶はぬ事もあらば、其時拙者同道して上るべし。何れ御身の為悪しき様なる事には計らひ候はず。御心を決し給へ」と勧めける。

 女差俯向き
「それは身にとりて此の上もなき幸、有難く存じ候へども、我が身不幸にて思はざる難に会ひ、着類残らず失ひ候ひて、実に着たる侭にて今は水仕奉公も勤まり兼ねる様な恥かしき有様、その上萬につけ不束なる者故、御用にたち候はん事あるまじければ、御許し下され候へ」

 「いや、着類の事は着の侭にて苦しからず、但し当用の物だけは不自由なき様、我等工面致すべし。又田舎の事なれば、格別利口いるべからず、右申す通り心に叶はぬ事あらば拙者が妹にせし上は少しも遠慮なく、此所より送り付け参らする迄の事なり。何事も心安く思召さるべし」と言ふ。

 牧女も倶に、
「其許下り給はねば、兄上の不義理と言ひ、又御為ならずとの事なれば、兄上に如才はあるまじ。何分一応下り給はり候へ。其の上は若し勤まり難き事もあらば、兄上の御世話にて帰るまでの事、さのみ案じ申す事に非ず」と、勧めければ、

 「さらばよき様に御世話下さるべし。是まで奉公せし先は如何し候はん」
「其の儀は伯父がよきに計らひ申すべし」と言ふ。

 
女、心落ちつき、但馬へ下るに決着せり。
それより沢右衛門逗留の由、着類並びに当用の手道具迄求め、鋏箱等用意し、人足を雇ひ、彼女を妹牧女と偽り、委細の訳をよくよく言ひ含め、妹夫婦に暇乞いして、但馬をさして帰りける。

 沢右衛門は此の度の始末思ひの外の幸となり、之を便りに心中に謀計をたくらみしとかや


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沢右衛門、京都より女を連れて帰り我が妹と偽る事