沢右衛門帰国する事
附、牡丹睡猫の譬
夫(それ)、侫奸者の人を惑はし損ふ事、譬ば牡丹睡猫の諺の如し。
沢右衛門、近年掃部の家へ出入りしてより、諸人の心に叶ふ様に計らひ、家内の者同様にあしらはるるにつき、己が妹を掃部の家に出入なさせんと計りしに、妹、はや人の妻となりし故、はかりごと相違せしかど、幸にも我が妹を見知りしなきを以て、彼の女を妹牧女なりと言ひなし、国元へ伴れ帰りしは、よき術(てだて)と見えし。
牡丹、花の咲き満るあり。猫、その元に来り、爪を隠して睡りふす。その姿、花をながむるに似たれども、かれが心花にあらず。蝶、来たって花に戯れ蜜をすはんとする時、飛びかかり犯しとらんが為なり。
これ侫奸の者の譬えにして、侫人の表は賢人にまがふを言へるなり。面色和かにして多く物を言はず、人に逆らはぬ振りしてよく人の心を探り、落度をとりて罪に落し、謀計を以て言葉を巧にして害をなす。
唐土にては、漢の莽、唐の禄山、我が朝にては蘇我の入鹿、かくの如き類、世に多し。
さて沢右衛門、故郷近く帰りけるが、先ず宿南にて日も暮れければ、彼女と人足を外に休ませ、その身は掃部の方へ立ち寄り、掃部殿へ対面す。
「先達は上京の由、先ずは無事にて帰国、目出度し」となり。
沢右衛門も、留守中不参の挨拶をし、深谷(みたに)の里へ帰り、その夜は人足に酒等飲ませ、賃銭を渡しける。
近所の婦女来り喜びて、
「昨日は妹御、御帰りの由、久しく都へ居給ひし故、身かはす程よき御器量になり給ひし」と賞美し、沢右衛門が妹に非ずと思ふ者は無かりける。女も、痴者(しれもの)なれば、まえ方、この里にありしやうに言ひなしける故、諸人実と思ふは理(ことはり)なり。
明くれば沢右衛門、心ばかりの土産など持ち、掃部の方へ行き、
「妹儀、久しく都にて公家奉つかまつり居り候ところ、当年、母が年回に相成り、又公家奉公も余り窮屈に候故、ひとまず国へ帰りたき由、申しこし候につき、是非なく、御暇を願ひ、昨日伴れ帰りしなり」
と、物語し、その後、助次郎に会ひ、掃部の所存を問へば、
「さればとよ、先達ての通り、後妻の事、一向取り合い申されず、それ故、折を見合わせ候なり。何れ四,五日過ぎなば、其許、何となく用事ある由にて他行せしと妹御を伴れ来らるべし。
我が妻の方へ預り置き、首尾を窺がひ、旦那の目にかかるやう拙者、計らひ申すべし」
沢右衛門、「尤もなり」とて、立ち帰りける。
五,六日過ぎ、掃部の家に来り、
「拙者、上京の節、城崎のさる人より頼まれし事ありて参り候。品により四,五日も逗留仕るべし。留守の内、御心添願上げ候」と言ふ。
掃部、承知の由なり。又、助次郎に向かひ、
「我等独身の時は幾日他行致しても、心安かりしに、妹帰りし故、女一人留守も致させ難く、甚だ困り入り候。
何卒、拙者帰るまで、御預り下され。何事にても御用の儀を申し付けまじくや、この段、ひとへに頼み入り候」といふ。
「成る程尤もなり。我が妻の方へ預り置き申さるべし。本宅へは御気質堅き旦那なれば、思し召しの程如何ならん」
掃部、これを聞き、
「助次郎申す処、尤もなり」とありし故、沢右衛門、大きに喜び、やがて妹を伴れ来りければ、
牧女、掃部に向ひ、
「私儀は、沢右衛門が妹にて候が、久しく都へ奉公致し、此度国へ帰り、何かと承り候へば、沢右衛門事、御内方様の御蔭を蒙り、御世話の御恩、申し尽くし難き由、申さるる故、早々お礼に参りたく候へども、歩みなれぬ道中に疲れ、今日まで御礼申上げず、御許し下さるべし」と言ふ。
口上と言ひ、態(なり)を見れば閑稚(しとやか)なること先妻にも勝りし風俗なれば、掃部、思はず笑を含み、
「されば久しく高家の内へ勤められし由、聞及ぶ。定めし心苦しく思はれしならん。先ず先ず堅固にて帰国せられ目出度く存ずるなり。隣村のことなれば、我が内へも折々参り、鬱気を晴らし候はるべし」
牧女、両手をつき、
「御用の節は如何様の事にても御申し付け、召使ひ下さるべし」と、しとやかに言ひければ、掃部、つくづくこの女を見ると、容粧、勝れて麗しく、風俗あい果てし、綾女の面影によく似たりければ、何となく心移りて覚えける。
美女を「傾城」、「傾国」とはよく名付けたる言葉なり。
助次郎、牧女に向かひ、
「ここは気遣はしく想はるべし。我が妻の方へ行きて休息し給へ」
「さらば、御案内下さるべし。御世話に預り参らせん」と、助次郎が妻の方へ行きたりける。
やがてその日も夕方になりしが、助次郎、肴など調へ、掃部に酒をすすめ、
「今日、沢右衛門が妹、参り居れば、御鬱散の為、酌をとらせ候ひては如何候はん」
「その方左様思はば、よきに計らひ候へ」
助次郎、牧女を招き、掃部に酒を勧めしが、流石、室町にて高家へ勤めしくせ物なれば、強からず弱からず、掃部の尋ねらるる事あらば、将軍の隠館、室町の次第、又内裏、欽定御殿の有様、その他神社仏閣、古跡等の事、尋ねるに応じて委細を語る。
その弁舌、流るるが如くなり。
かくて、四,五日過ぎ行けば、助次郎、掃部に向かひ、
「奥方なくならせられしより、御着類等手入れせでは叶ふまじき物多く候へども、行き届き申さず、若旦那の御衣裳等も当用の物は愚妻が仕立て候へども、元来、縫針不器用にて見苦しく、この頃牧女殿に伝へ頼み候処、殊の外上手にて、手早く見え候故、何かと御衣服損じしもの仕立させたく申候。如何計らひ候はんや」
「成る程、幸ひの事なれば、手伝はせて宜しからん」
それより十日ばかりたちて沢右衛門帰り、
「此度は、はからざる別用出来候ひて、長逗留に相成り、妹が事、御世話に預り有難く存じ候」と言ふ。
「さらば我が家、着類等損じたれば、助次郎妻ばかりにて行き届かず、手伝頼みたき由、申すに付、今しばらく頼み置き、仕事が済み次第送らせ帰し申すべし」
「それは幸ひの仕合せかな。御用に立たば何時までも御召使に御申し付け下され候へ」
掃部、心よげなる体に見えければ、沢右衛門、妹に向かひ、
「去年、奥方なくなり給ひしより、御着類は勿論、何かと不始末になりし故、助次郎殿御内室に指図を受け、萬に気を付け、旦那の御気の休むやう、よくよく御用勤め候へ」
牧女「左様には存じ候へども、不調法の上、勝手不案内のこと故、御用にはたたずして御世話になり参らするばかりなり。」と言ふ。
沢右衛門は心に喜び、我が身に金子、所持せる事を人に悟られざるよう不自由の渡世に見せ、折々、助次郎を頼み、掃部の方より五穀三石づつ借用などして日を送る。深きたくらみあること、後にぞ思ひ知られたり。
かようにして月日を送りしが、本宅に用事繁き時は、牧女に何かと、とかく世話を頼みしに、先立ちし綾女の取り計らひに少しも違はず、諸事滞りなく行き届き、自然と家の締りもよく、掃部、何となく内証の事まで、牧女に相談するやうになりし故、万端、心に叶ふ様に気を付け、別して喜代若を大切にし労はり、その他、下女下男に至るまで心を付けし故、上下とも家内の受けよく、この人無くては一日も勤まらず等言ひ合へり。
元来、智恵勝れし女と言ひ、都にて諸人にもまれたる曲者なるに、沢右衛門、諸事をよくよく言ひ含め、内証にて示し合せたる事なれば、物和らかに家内を恵み、身を引下げて気を付けたる事、綾女存命の時にも勝れたり。
或時、掃部の前に手をつき、
「助次郎様の御子息、外へ御勤めなさるる由、御衣類の事、心許なし。御果てなされし鶴千代様の御衣裳や、喜代若様の御用なき着類等、多く見え候。取調べ、見苦しからぬ様仕立進上しては如何候はん。助次郎様御夫婦は、我が子の事なれば、御内方の世話に取り紛れ、行届き候はじ。若き殿達は着類の見苦しきは心のひがむものに候」と言ふ。
掃部打ち頷き
「よくも心付き候もの哉。彼は当家第一の力にすべき者にて、喜代若が後楯なり。その方申す如く、助次郎の妻は縫針等無器用の上、世事に暇なければ、心にかかるとも思ふ様に気をつけまじ。勝之介が事、大嶋兵庫殿へ付き、当時は八木へ居るなれば、道隔たりて当用の事までも心に任せず、定めて着類ふつづかならん。彼が着類の品は、その方よきに気をつけ呉れ候へ」
牧女それより助次郎が妻へ、鶴千代の着荒らされしを取り出させ、品よく仕立ける。
数々取り揃へ助次郎が妻へ
「御子息様の着類へなりと致し候へ」と言って渡しける。
助次郎夫婦大きに喜び、「其許の親切、親にも勝り候」とて、直ちに八木へ遣はしける。
かように万端、気を付ける故、家内は勿論、隣家まで牧女を褒め、あがむる事、奥方の如くなり。
けれども牧女は内心に深き望みあれば、いよいよ身を下げ、下女の如くに勤める故、家内うやまひける。
されども掃部は一心鉄石の如く、かりにも戯れの言葉を言わず、喜代若に我が床をとらせ、親子枕を並べ、昼といえども寝所へ女を入れず、行儀堅く日を送りける。
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