かくて光陰を送りけるが、或時、助次郎、ひそかに主人に語りけるは、
「さても牧女殿の事、数月の間、諸事を考へ見候に、万端に付き先奥方の御計らひに少しも違はず、その上かげひなたなく喜代若君を労はり愛せらるる事実母に過ぎたり。
かかる女性は世に稀なるべし。主人未だ五十歳にも満ち給はず、一生無妻にて過ごし給はん事、御家の不為となるべし。愚妻とても無器用の上、歳寄りて御世話届かず。
喜代若殿未だ御幼年なれば、一生寡にて暮らし給はん事、御家の為ならず。
牧女殿は先奥方の後を追ふべき発明あり。
此の人を当時の妾に定められ候へ」と勧めければ、
「成る程、其の方が申す如く、何かと気の付く事、相果てし綾女に勝り、又器量、風俗も是に劣るまじ。然れども内心の善悪はなかなか知れざるものなり。
若し我が妾に定め、幼き者等出生して後、悪しき心も出でなば、其の時悔ゆるとも詮なし。
我つらつら考ふるに、かく発明にて智慧勝れし女に、得て内心に毒ある者多し。されば女は菩薩に似て顔艶(かんばせうるわし)と言えども、内心は夜叉の如しと言えり。
妻妾の事、急に決し難し。汝が申す旨もその道理無きにあらねども、我またとくと考えずんば非ず。早まりて詮なければ事を急ぐに及ばず」
と言ひて、妾の事を早速に決せざれば、助次郎すべき様なく日を送りしが、此の女性、器量発明勝れたれば、若し外方へ貰はれん事も計り難し。
その時悔ゆるとも詮なし。主人は片意地に申されども、一生寡にて暮されんは、家の不為と思ひ、尚また喜代若は、歳未だ深き思慮もなく、只牧女の明暮愛せるを喜び居りたりしが、或時、深更に及び、人静まりて後、父の枕元にかしこまり、
「父上は如何思召し給ふぞ。母上亡くなり給ひてより心淋しく、萬に付けて力なく、明暮恋ひしかりしに、牧女殿来給ひてより、何事も母上の在はしまします時の様に思ひ、果て給ひし母上の帰り給はりし様に思はれ候。
若し此の人外へ参られなば、母に離るるやうに悲しく思ひ候へば、此の後は我が母上になり給ふ様願ひ奉る」
と、涙を浮かべて語りければ、掃部は始終を聞き、助次郎が教へて言はすとは知らず、我が身の心淋しきにつjけて、一子の愛情に心迷ひ両眼に涙を浮かべ、
「如何様母や兄に後れぬれば子供心にも淋しく思ふは理(ことわり)なり。此の事は助次郎も折々父に勧めしなり。されども、心一決せぬは、其の方が行末を大事と思ふが故なり。継母と言ふ者は始めは継子を憐み、家の為になる様なれども、実子など出来なば初めの心に引変へて、後には自然と本心を現はし、悪心となる事、古今其の例多し。
是に付てさる物語あり。よく聞き候へ。
昔、唐土(もろこし)晋の国に、献公と言ひし国王あり。
其の后は賢女にて名を斎姜と言ふ。
三人の子を生み給ふ。兄を申生と言ひ、次男を重耳、其の次を夷吾と言ふ。皆、賢子なり。
三人の子成長し給ひて後、母の斎姜世を去り給ふ。献公歎き給ふ事深しといえども、月日遥に遠く成りし程に、移れば変る人心、昔の契を忘れ終に驪姫と言ふ美人を迎へ后とせり。
此の驪姫と言ふ女、姿の美なるは勿論、智慧人に勝れ、弁舌水の流るるが如く、能く君の心を喜ばしむ。
されば献公の寵愛深くして、訣れし妻の事を打ち忘れ給ひけり。
かくて年月をふる程に驪姫また男子を産めり。是を奚斎と言ふ。
未だ幼しといえども母の寵愛に依りて、父の思もまた三人の太子に超えたり。献公常に先の后斎姜の子三人を捨て、驪姫が生みし子の奚斎に晋の国を譲らんと思へり。
驪姫内心は嬉しく思ひ乍ら、偽りて言ひけるは
「奚斎未だ幼くして善悪を弁へず、賢愚更に見えず、然るに先に出生したる義理ある三人の賢子を超えて我が生みし子に此の国を継がせん事、それ天下の人の悪む処なり。
かかる道ならぬ事をば、決して成し給ふな。」と、時々諌め申しければ、献公いよいよ驪姫が心に私なく、世のそしりを恥じ、国を安からん事を思へるなりと深く感じて、ただ万事を是に任せられしかば、其の威、益々重くなって天下皆是に帰服せり。
ある時、嫡子申生、なき母の追善の為に祭をなしけるが、尊霊に供へる料理を分け、父献公の方へ献じ給ふ。折節父は狩場へ出で留守なりけるが、此の料理を器物にいれて置きたるを、驪姫ひそかに鴆(ちん)と言ふ恐ろしき毒を入れたり。
献公狩場より帰り給ひしを驪姫申されけるは、「人より送りし物をば先ず人に食はせて後、君には勧め申すなり。」とて、御前に於て人々に少し宛食せられたりしに、其の人々忽に血を吐きて死にけり。
「是は如何なる事ぞ」とて、庭前なる犬に食はせ給ひしかば、犬皆倒れ狂ひ死す。
其の時、驪姫偽りて涙を流し、「我れ太子申生を大切に思ふ事、我が子の奚斎に勝れしに、先達て奚斎を太子に立てんとし給ひしを憤り、此の毒を以て我と父とを殺し、早く是の国をとらんとたくらまれるこそ悲しけれ。
是を以て思ふに、君にも如何になり給ひなん。
後は申生よも我と奚斎とをば助け置き給ふまじ。
願はくば、君我を捨て、奚斎を殺して太子申生の心を休め給へ」
と、泣々献公に口説きける。元来智浅くして甘言を信ずる人なりければ、大きに怒って申生を懲すべき由、典獄の官人に仰付けらる。
群臣みな申生の罪なくして殺され給ふを歎き悲しみ、「早く他国へ落させ給へ」と告げたりける。申生是を聞き涙を浮べ給ひ、「我れ少年の昔は母を失ひ、成長の今は継母のざんにあへり。これ不幸の上に妖命備はれり。尤も天地の間、何れの所か父母なき国あらん。
今死を遁れんが為に他国に行きなば、それこそ「父を殺さんと鴆毒を与へたりし大逆不孝の者よ」と見る人毎に悪まれ、生きたりとて何のかんばせあらん。
我が誤らざる処とは天これを知れり。
ただ虚名の下に死を賜って父の怒りを休めんにはしかじ」とて、討手の来らざる先に自ら剣に貫かれて死し給ふ。
いたはしかりける次第なり。
その弟重耳、夷吾この事を聞きて、驪姫ざん言しまた我が身の上に来らん事を恐れて、二人とも他国へ逃げ行き、山林に身を隠し給ひける。
かくて奚斎に晋の国を譲りけるが、天命に背きし報いにや、幾程なく献公、奚斎父子共に其の臣下、里尅と言ふ者に殺され、晋の国たちまちに滅びける。
かく様の事、和漢に其の類多し。
危きに近寄らずとは賢者が教へなり。我先立ちし汝が母の貞実と其方が身の行末を思ふが故、一生無妻にて過ごさんと覚悟せしなり。
然りといえども助次郎始め汝までかほどに勧むるを聞き入れざるも片意地なりと思ふらん。よく思案致すべし」
とて休まれける。
かくて助次郎夫妻、一子喜代若度々勧め申すに付き、あらあら承知し、
「さらば我が世話人として抱へ置くべし。若し末に至り心得難き事あらば、その時追出さんに仔細あらじ」となり。
是に依って皆安堵して此の旨沢右衛門に通じければ、大きに喜び、
「左様になし下さらば妹が幸なり。然るべき御計ひ下さるべし」と言ふ。
牧女も「側近く召使ひ下さらば有難き幸なり。さりながら何事も御心に叶ふまじければ御用にたち候様御蔭を願ひ候」と申しける。
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