されば牧女掃部の妾となりてより、智慧勝れし奸女なれば、貞実の心底に見せ、喜代若を愛し掃部の心をとり、勤める事、先妻にも勝りければ、掃部も牧女に心を移し、年月を送る事二年ばかりなりしが、牧女懐胎せり。

ある時掃部に言ひけるは、
「君の情けを蒙り御側近く召使はるる事有難く、月日を送りし処、妾ただならぬ身になり候へ共、若し子等育ち候へば、如何程喜代若若君を大切に思ふとも、世間の人に無き名をたてられ候はん事計り難ければ、人知れず捨て候はん。さりながら流産して果る者世に多し。我若し命を失はば是まで受けし御恩をも報じ参らせずして、空しくならん事の悲しさよ」
と打ち萎れてぞ語りける。

「何とてかかる心能き事を言ふぞ。女の男に合ひぬれば妊娠するは自然なり。子を育てたりとも、汝の心これまでの心底なれば、人の口にかかる事非じ。若し男子等出生せば、喜代若が力ともならん。
なんぞ其方が子を捨てんや、身を大切に保養し時節を待つべし」となり。

牧女涙を浮かべ、
「御情の御恩言尽し難し」と。

それより日数積りて男子出生す。掃部喜び名を金吾と付けたりける。かかりし後は、何となく諸人牧女を尊敬する故、掃部許して本妻とせり。

然れども心の底に毒を含みたる奸女なれば、少しも高ぶる気色なく、妾たりし時の如く身を下って勤めしが、金吾4歳となりし時、また一人女子を産む。是を民女と言ふ。
かくなりし後は掃部自然と先妻の事を忘れ牧女を愛しける。

喜代若今年十七歳、改名して祖父の名を継ぎ、左衛門と言ふ。金吾は生れつき美しく、智慧も賢しく見えければ、掃部夫婦深く寵愛す。牧女本妻となりてより、諸人先妻綾女通りに敬へ共、沢右衛門は我が妹の事なれば、度々来りて何事も遠慮なく前の通りに物語りし、帳台深く入り込むといえども、掃部始め兄妹の事なれば、誰とがむる者無く思ふままに密通し、掃部の威を借り心のままに振舞ひける。

助次郎は心に憎しと思へども、奥方の兄なれば心ならずも沢右衛門を崇め、我が身を下げて日を送りける。  (次のページへ)
牧女男子を産み本妻となる事