さても沢右衛門は牧女との密通を助次郎に悟られし事を当惑し、万一掃部に漏れなばたちまち身の大事とならん、もはや助次郎を失はんより外に思案なしと種々に心をくだけども、すべき様なければ、ひそかに毒薬を求め来り牧女へ言ひけるは、
「先だってよりその方と我密事を語りしを助次郎怪しみしと聞けば、何となくこの家へ来るも底気味悪しく、彼が気を付けん事を案じ、御身に近寄らん事もなりがたし。
かたがた以て彼が居ては我等が邪魔なれば、人知れず毒害し殺さんと思ひ、薬を持参せり。御身よき時節を窺がひ、人知れず彼が食物の中へ入れて食わすべし」と言ふ。
牧女さしうつむひて思案の体なり。
沢右衛門、「その方はいかがなる心得ぞ。毎度言ひ聞かせし通り助次郎を殺して後機を見合わせ、掃部親子をも失はば我等この屋に世話人となり、金吾を守り立て、後を継がせば、我その方と思ふ侭に楽しむべし。
しかし急に三人を殺さば、助次郎が倅、勝五郎(始めは勝之助と言ひしなり)ひとかたならぬ曲者なれば、万一毒害の事を悟らばいかなる目に逢はんもはかり難し。されば、先ず試しに助次郎を殺し、様子を見るべし」と言ふ。
牧女は沢右衛門と深く言い交わせし上、中老に近き掃部なれば、壮年の沢右衛門に心迷ひ、小声になって
「されば毒害の事、われ都室町にありし時、憎しと思ふ女ありて、これに毒を呑ませしが、やがて口より血を吐き、目鼻ともに血あへとなり、空をつかんで叫び苦しむ有様、心地よしとは思ひながら余りに見る目のいじらしかりし故、また助次郎もかようの目を見すらんかと心うく思案せしなり。
外に思案はなきや」と言ふ。
沢右衛門、「いや、それは一通りの毒薬ゆえたちまちに当って左様に苦しむなり。わが持参せし薬はさにあらず。
最も高金の薬なれば、吐血する様の事はあらじ、早く廻りても四、五日は患ふべし」
牧女悦び、「さらば、折を見合せ用ゆべし。事の成就するまで、必ず当門へ度々は来り給ふな。もし悟られては一大事なり」と、
なにげなき有様は、恐ろしかりけるたくらみなり。
かかる侫奸の悪女なれども邪知人に勝れ、容粧麗はしく、よく人をなづけ、掃部親子へ実意を見せて日を送る。
ある時、よき序のあるを幸、かの薬を助次郎が食物の中へ入れ置きたり。
助次郎は何心なくこれを食いしが、何となく気分悪く、妻の方へ行き、大きに腹痛して苦しむ。
掃部行きてみるに、俄に腹痛み五体ひきつけ候といふ。
医師を招き容体を見せしむるに、何とも名をつけず、変病の由をいふ。
掃部驚き、種々針薬を尽くし療治すといえども、少しもしりしなく、総身黄色に変じ、苦痛甚だしかりければ、子息勝五郎はその節、城主・修理殿八木へ参られ、大島兵庫も御供なれば勝五郎を召しつれらし故、俄に飛脚を以て旨を通じける。
勝五郎、使とともに馳せ帰り掃部病気の次第を語りければ、勝五郎、父の面色をよく見て、あらいぶかし、これは毒に当りし様子なり。
最早全快なりがたかるべし。残念の次第やと、涙を流してかなしみけるが、発病の日より四日と申すに終に落命す。
女房、娘、歎きかなしみければ、牧女は助次郎が枕元に伏しまろび、
「これはいかなることぞや、我ここに来りてかくなりしも、この人のお世話にて、その上、よろずに付けて心を付け給はる故、親とも兄妹とも頼もしく思ひしに、俄に空しくなられし事のかなしさよ」と、
倒れ伏して泣きかなしみ、声をあげてくどきしはよその見る目もあはれに見えし。かかる奸女とは知る人さらになかりける。
哀れなるかな助次郎は、父、池田助左衛門が遺言を守り、農家に下るといへども主人に二つ心なく忠義を尽くし、我が身の事は打ち捨て掃部に奉公怠りなく昼夜心を尽くし、勤めし故、掃部も片腕なりと力に思ひたりしに、我心の律義なるままに、牧女、沢右衛門が内心の侫悪を悟らず、かかる奸計に逢ひしは無残なりし次第なり。
この時、康正二年の子の八月、まだ散り初めぬ紅葉の思はぬ嵐に吹き落され、野辺の塵とぞなりにける。
沢右衛門も助次郎が卒去を歎き、内心は悦びの笑を含んで居たりける。
日数のたつままに五十日も過ぎ行けば、助次郎が子息、勝五郎も武家奉公の身なれば、泣く泣く兵庫殿の内へ帰りける。
沢右衛門は心うれしく、掃部の家に入りかはり、何かとの世話など勤め、掃部親子の目をかすめ牧女と密通して楽しみけれども、両人とも邪智勝れたる侫奸なれば悟られず、牧女と言ひ合せ掃部親子の心に叶ふ様に諸事をよくよく勤めければ、何事も彼に打ち任せて居たりしは浅ましかりける事どもなり。
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