さても左衛門は継母牧女の信仰によりて病気平癒し、家内中悦ぶも其の頃より弟金吾病気づき、明春枕に臥しけるが、日々に病気重もりければ、掃部始め兄左衛門大きに悲しみ、種々療治をなし介抱しけるが、実母牧所はさして驚ける色もなく、気にかかる風情も見えざれば、左衛門牧女に向ひ、

「金吾が病気この頃は日々に重もり、心もとなく存じ、薬は勿論御覧の通り神仏へ祈誓をかけ候へ共何の印もなく、最早全快なりがたしと思はれ、父も殊の外気を傷め給ふにつき我とても只一人ある弟故、子の如く思ひ、不憫に候故、明暮心を傷め候に、母上は何とて我等が煩ひし時の様に介抱はして給はり候はぬぞ。

金吾が病気をも我が煩ひし時の如く御心をつけ、又神仏にも祈念して候へ。」

彼女打ち笑ひ、
「さればとよ、金吾が病気も頼み少なき様に見ゆれば不憫には思へ共、人の命は定りたるものなり。
寿命あれば御身の如く大病にても全快せらる。

如何なる妙薬にても無き命は詮方なし。
金吾も寿命あれば本復すべし。定命なれば死すべし。
命は天運に任かせ置くべし。

斯く申せばとて療治無益と言ふには非らず。されども命の事は神仏の力にも叶はぬものにや。天子将軍の御身だに御寿命限りあるにや。
かへなき大切なる公達方にても早く世を去り給ふ。

これ皆因縁のなせる所なり。
御身だに堅固にてましませば、幼年の金吾は枝葉なり。
さのみ気をいたむる程の事あらず。
ただ、御身弟金吾が病気を心配せらるるこそ心得ね。

其方は元なり彼は末なり。枝葉の為に根元の身をいため給ふ事を我是をいたむ。
よく心得て夜深更に及ぶまで休息もせずして、病後の身体をいため給ふな。

見らるる通りこの母もなりたけの介抱は致し、万につき心いっぱい気も付け候へ共、此の上の事は彼が運次第なり。」と言ひて、何気なき気色なり。

掃部傍らにあって是聞き、
「其方が申すは真実の義理を申す言葉なり。そもそも人間は高きも賎しきも、もののあはれを知らずばあるべからず。
金吾ようやく九才になりたれば、未だ幼き者なり。

されば兄の左衛門が如く勘弁あるべからず。
幼少の子、かく大病をとり結びし上は深く心を付け、寸暇も目をはなさぬは親の愛念なり。

然るに兄の左衛門が煩ひの節は、数月の間だ枕をはなさず、一夜といえども帯を解きて寝しを見ず、寝食も忘れ身体痩せ衰ふる程気をいため看病せし事、なかなか実の母たりとも常人の及ぶ所にあらず。

其の上観音に祈願をかけ、祷りし有様我妻ながらおそろしく、心の底にはかかる義念深き女ありけるかと感ずるに堪へたり。
其方に依り兄の左衛門は忽ち病気全快せり。

是全く其方が念力にて左衛門の命を助けしものなり。
さればとて、今金吾が介抱おろそかなりと言ふにはあらず。
然れども左衛門が看病に比ぶれば、十分が一にも過ぎず。其の上心痛の顔色も見えず、是はいかなる道理ぞ。五人七人子を持つとも乙子は父母に添ふ間短きが故に、乙子程愛情の深きは人間の常なり。われ兄の左衛門に愛心薄しとは思はね共、幼少の金吾が病に苦しむを見れば、腸を断つが如く不憫に思ふなり。

されば、左衛門が病気の時の如く観音に祈誓をかけ、彼が命も助けてやり候へ。
我等も共に祈願をかくべし。」とありければ、牧女是を聞き、
「君の仰せに似合はぬことを宣ふもの哉、それ人は子の愛情に迷ふといえども、善悪の二つは如何なる愚かなる者にても差別なきは人間の霊徳なり。

我身に私ありては道に叶ひ候まじ。我左衛門の煩ひに心身を傷め悲しみ、諸神諸仏に祈誓をかけしは、第一家の為、第二は夫の為、次にわが身の為なり。

今、金吾はわが実子なりといえども、幼うして賢愚わかりがたし。左衛門殿は継子なりといえども、成人して智も勝れ、殊に義理ある先妻の子なり。
ここを以って、われ私の勝手を振り捨て、誠の道に随はんと思ふ故なり。
さればとて肉身を分けし幼少の実子なれば、愛情の深き事は恥しながら左衛門殿に勝りたれども、事をわけぬわが子の愛情に迷ひ、神や仏に御苦労をかけ、いかなる御願を立てたりとも何とて納受し給はん。

とにもかくにも人間は道にたがいて神仏へ無理なる願をかけ、叶はねばとてわが邪に心付かず神仏を恨み、かえってその身に罰を受け、家をも身をも失ふ様の事、世には例多し。

此度の左衛門の煩ひ、なかなか本復し給ふ病気に非ず。それゆえ神や仏に祈誓をかけたれども、どても叶はぬ病とさとり、此の人もし果てられなば我は継母と言ひ、実子両人まである身なれば、かたがた以ってわが心は潔白にても世の人の口は塞がれず、それゆえ実子金吾が一命を兄左衛門殿へたまはり候へと、念願深く祷りしなり。

されば歌にも、
『心だにまことの道に叶ひなば 祷らずとても神や守らん』

愚なる我なれども、大事と思ふ心の一念神仏に通ぜしにや左衛門の病気平癒し給ひ、金吾が病の出でたるは、彼が命をちぢめ左衛門へ給はりしものならんと、嬉しくもなお尊くも思ふが故、彼死するは悲しみならず」と言ひて左衛門に向ひ、
「是程まで大切に思ふ御身なれば、疎略に御身を持ち給はば此上もなき母への不孝ならん。それ故にこそ金吾が病気などに心をいため給はるなと申せしなり。」

掃部親子これを聞き、何と言ひ出す言葉もなく、さしうつむいて居たりしが、左衛門両眼に泪を浮べ、母牧女の側に寄り、
「是まで我を憐れみ給はる事、いかなる慈悲深き実母にても及びがたき御親切と思ひしが、か程の事とは思はざりし悔しさよ。」

牧女顔をあげ、
「行き届かぬ此母を実母より大切にして給はる故、心の底を明かせしぞ。
我心をあわれみ給はば母の命のある内は身を大切に持ちてたひ給へ。金吾苦しむ体なれば、薬を呑ませ申さん」と、病人を介抱し、泪を流していたわりける。

掃部は始終を聞き感じ入りて居たりしが、
「如何にや左衛門、よく聞き候へ。我は実の父なれども、汝を思う親切、母が心にくらぶれば、十分の一にも及び難し。一生忘るる事なかれ。
ただ、不憫なる金吾が身の上、何卒助け得させたし」と泪をおさへ居たりける。

金吾は日数たつ侭に病気次第に重もり、九才と申せしに蕾める花の咲きも得ず、葉末にとめし露の玉、消えてはかなくなりにける。

掃部親子は骸にとりつき、声をあげて泣きたりしに、母牧女は歎きもなく、かねて覚悟の事なれば、今更歎くは迷ひなりと、さあらぬ体にて居たりける。

され共、月日の立つに随ひ恩愛の別れ心淋しくなりしにや、妹の幼女を抱きながら人々に語りしは、

「誠は先の綾女様はただなき堅女と聞きしが、鶴千代殿と言ふ寵愛の堅子を喪ひ給ひ、御身も終に果て給ひしは、哀はれなる御事かな。
我も一人の男子を喪ひしに、其当座は気を張り詰めし故か、さ程悲しくも思はざりし。
日数積もらば忘れやせんと思ひしに、さはなくして日を送るに随ひ、次第に悲しみ増す様に思はるるなり。

それにつけても綾女様の御事思ひやられていたはしく、ただ何事も過去の因縁なれば、先立ち給ふ方々の御追善こそ大切なり。」と、
先妻の忌日には身を清め、香花を供へ、墓所へ参り、下向の序の折々、老僧真禅法印の庵に立ち寄り、仏法の要文を聴聞し、又式日には氏神諏訪神社へ参詣し、夫や左衛門の無事を祷り暮らせしは、奇特なりし心得なり。

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牧女実意之事    付、金吾頓死之事