山伏狼に逢ひ難儀の事
ここに伯州汗入郡岩根と言ふ所に威妙院といふ積徳の山伏あり。
諸国の霊山に順拝しけるが、丹後の国、河守、元伊勢大神宮へ参詣し、序に文珠に参り、天橋立、其外浜辺の名所聞き及びしままに一見せんと思ひ立ち、伯耆(ほうき)の国を発足す。

寛正五年卯月始の事なりしが、威妙院当国へ来り妙見山を拝観し、それより丹後の方へ急ぎしが、日も暮れかかりければ、上小田の里にてある茶屋に休み、是より出石郡宮内と申す所へは道程何程なるぞと問ふ。

茶屋の主、凡そ三里ばかりあらんと言ふ。

「さらば是より先、宿のあるべき村里ありや」と訊けば、
「これより三十町行きて浅間と言ふ里あり。此所は伽藍ありて大村なれば宿屋あるべし」

道の様子を問へば、
「伊佐川と申して舟渡あり。七、八丁野道を行き、少し山のうねりを過ぎて彼の里なり」。

さらば彼の里まで行くに日は暮れまじと心安く思ひ、殊の外空腹なりければ酒を飲み丹後道中の様子を尋ねなどしてはからず時刻移り、日も暮れければ打ち驚き、早く浅間の里へ着かんと茶屋を立ち出で急ぎしが、道にくたびれし上空腹に酒を飲みし故、思はずひまどり、ようやく伊佐川に着きける時は、はや人顔も見えばこそ、向うに渡守ありと聞きし故、声を限りに呼びけれども、折節前日の長雨に水嵩高く、渡し守も向うに居合せざるにや半時ばかり音もせず。

やや暫くして答えし故、舟を待てども高水故に手間どりければ、磯に着くを待ちかね乗り移る。

「浅間へは何程ありや」と問へば、渡し守「此野を八、九町行きて山あり。其麓を三、四丁行けば彼の里なり」と言ふ。

さては遅くなるべし、と舟より上り急ぎ行く。
かように時を移せし故、暗さは暗し。

道の案内は知らざれども、一筋道と聞きしより足に任せて歩めども、折節時雨降り来り風烈しくもの凄ければ心せき、向うを見れば暗き夜なれど山ある気色に見えければ、是を目当てに急がんとせしが、山の麓に狼ありて、啼き声地を響かす。

気味悪く思ひながら、よくよく見れば、狼二、三十匹もあらんと思しくて、道の真中左右に群集し居りける。

是は如何と恐ろしく後へ帰らんと後を見れば、後にも狼五十匹ばかり顕はれ出で、道も畑も狼の如くなれば進退ここに極まりて、後にも先へも行く事ならず、如何せんとあたりを見れば側に大きなる榎あり。

農夫ども大小豆など数多懸ける木と見えて、一、二の枝南北に長くなびきて高さは僅か二丈に過ぎず、芯なくして舟の碇を立てたるが如し。

是ぞ屈竟の事なりと思ひ、走り寄りて彼の木に飛びつき、節、瘤、小枝に手をかけ登りて見れば、四方に枝あれどもようやく高さ二丈に過ぎず、声を挙げて人を呼ばんと思へども、身の疲れたる上空腹にて心もおくれ声出でず、かねて所用せし守り刀を取り出だし、右の手に是を持ち左にて木の枝をしかと抱へ居たりしに、前後の狼百匹ばかり木の元に群がり来て、上なる山伏目がけて飛びかかる事、イナゴの飛ぶにことならず。

されども行徳勝れし山伏なれば、悪獣降伏の秘文を唱え、枝を力に身をかため、近くよらば突き殺さんと刀を構へ、心を静め居たりしが、人家遠ければ声も届かず、時を移せし程に夜も深更に及びける。

狼代る代る飛び上がりけれども、七、八尺ばかりより高くは登らざれば、恐るるに足らずと思ふ所に、集りし狼、木元に伏すぞと見えしが、やがて上に重なり重なり俵を積み上げし如く、一の枝まで重なり登る。

山伏是を見て驚き如何せんと思へども、芯なき木なれば高く登る事叶はず、身を留めし所、ようやく一丈四,五尺ばかりなりなれば気も魂身に添はず危なかりし次第なり。

やがて上なる狼山伏の足に喰いつかんとせしが、威徳にや恐れけん、頭を垂れ下へ転び落つる事度々なり。

始め落ちし大きなる狼怒れる姿にて、西を指して飛び去りしが、十町ばかり隔たるとおぼしき所に叫ぶ声しきりなり。

啼き声のうちに折々「カモンカモン」と聞こえければ、山伏不思議に思ひ、是まで狼の吠ゆる声を聞きし事なし、怪しき事かなと思ふ所に、暫くあって其形勝れて大なるが飛び来って上なる山伏を見る二つの眼、耀く星の如く光り、身の軽き事、飛鳥に異ならず。

山伏の持ちたる守り刀に眼をつけ、飛びつく事稲妻の閃くが如く、恐ろしなんど言ふばかりなし。

終に山伏の右の袖に喰いつき引き落さんとす。
持ちたる懐剣にて突かんとなせども、袖口を銜えて引きし故、心はやたけにはやれども、左の手は木の枝を抱えたれば働き得ず。

されども、強気の行者なれば少しも騒がず、壊剣を持ちたる手をもぢり狼の眉間を一刀突きしが、狼少しも屈せず飛び上がって壊剣を咥えながらどうと落ちしが、かき消す如く消え失せける。

数多の狼四方へはっと逃げ去って木元へは一匹もなく、山伏は守り刀をとられけれども身に怪我のあらざれば、是神仏の加護ならんと木の枝を力に夜の明くるを待ちける。

はや東雲明けわたりければようように力を得、声を限りに助け給へと呼びかける声、浅間の里に通じ、人多く来りし故、木より下り今ぞ命を得たりしと、人心地になりたりける。

諸人山伏へ如何したる事ぞと問ふ。

山伏、狼の次第を語り、殊の外身体疲れたる体なれば薬を飲ませ、食を与え、此あたりにて狼を見ること稀なり、是は不思議なる哉と言ふ。

山伏、さてこの辺に「カモン」と言ふ者ありやと問ふ。
「掃部と言ふ者、我等が里へはなし。是より二十町ばかり西、宿南の荘にこそ高木掃部と言ふ人あり。是は百姓なれども農家にあらず。武家百姓なり」と言ふ。

山伏の登りたる木のありし畑は、今は田地となり其字<一本木>と言ひ伝ふとかや

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