然るに左衛門母の遺言時日を移すべからずと、ひそかに池田勝五郎へ此度の怪事の始終を委細に残る所なく物語りありければ、勝五郎つぶさに聞きて大きに驚き、或いは悲しみ、或いは悦び、

「我等始め諸人の知らざりし父が仇なる牧女、沢右衛門を殺し、君御親子の命を助け、重大の宝剣まで取りかへされし大恩、我また是を報ぜずんばあらじ。何卒早く狼の像を造り、ひそかに追善をなし参らせん。
併し近辺にて像を造らば人の怪しまん事如何なり。
我夜を日についで都に登り、よき作者へ造らせ申さん」と、
それより発足し、日数を待たず、狼の像を白木の箱へ入れて帰りけるが、人の見んことを傷みて土蔵の内へ安置し、供物を供へて日夜いますが如く祭りける。

掃部は度々の憂ひに逢ひ、その上化身の牧女なくなりしより心淋しく、家にありし面影忘るる事なく月日を送りしが、文正元年丙戌三月卒去せり。

歳六十二才、今に至りても宿南城山の麓に掃部屋敷ならびに墓跡あり。されば左衛門、勝五郎へ申されけるは、

「我先年継母の悪女が為に命をとられんとせしを、狼悪女の継母をとり、其姿に変妖して当家に来り、父に貞実を尽くし、我等愛せられし事実母たりとも中々及び難き深切なり。

其上伝来の守り刀をとり返さんと心を尽くし、終に顕はれ果てられし事、我が身を果つるとも此大恩を報ぜずんばあるべからず。さればわが母の霊魂の移り留まりし狼像を負ひ、諸国の霊仏社へ順拝せば、仏果菩提の増上縁なるべし。
是わが報恩なり。汝はこの家に留まり、我に替りて家を納めよ。
順拝終らば再びここに帰らん。
若し六年の年暦を過ぎて帰らずんば、其の時民女に養子をして後を継がせよ。是わが存念なり。」

勝五郎、「御尤もの思し召しなり。我つくづく思ふに、主従なる武道を心得し身を持ちながら、斯く浅ましき山林へ住し、空しく埋もれ木となって一生を過ごさん事、口惜しき次第なり。

是より主従諸国を廻り霊場へ順拝せば、互に父母への追善とならん。
二つには、諸国乱れし時節なれば、名将を尋ね縁を求めて仕へなば、再び武家へ立ち戻らん。

拙者深き所存ある故、片山平助、次いでは叔父・池田彦太夫、是まで度々宿南殿へ勤仕を進め申されしかど、小身の右京殿へ仕へん事をせず、時節を待ちて主人を守り立て高木の家を興さん、是わが存念なれば、願ふ所のお供なり。

後は弟の新七に任せ民女を預け置き、又先祖方へ追善には、光明寺へ日牌のしどう金をあげ置き給へ。
斯く重き狼像なれば、主従代る代る負ひ申さん」と言ふ。

左衛門、大きに悦び、是わが心に叶へり。さらば月日を移さず思ひ立つべしと、光明寺へ日牌料ならびに末代までの供養料として、青銅二百貫文の切金を納め置き、家は勝五郎が弟、新七へ任せ、俄に笈を調へ像を収め、主従是を守護して住み馴れし宿南の里を発足せんとす。

其夜は主従とも狼像を祭り、よもすがら法華経を読誦し、深更に及んで臥したりしが、左衛門の夢に牧女菩薩の姿に変じて枕元に顕はれ、
「孝子左衛門、我に報恩の為狼像を守護し、諸国の霊場へ順拝せんと欲す。
其志の功徳広大にして感喜するに堪へたれども、我真魂は天に止まり、念力は分身自在の狼王となって此木像に留まる。

されば、末代までこの国に在りて、五穀を荒らす獣の害を防がん。
当郡の内霊神の宮寺あらば、我姿を安置せよ。
又、汝等主従は天国の守剣を身につけ、是より関東へ趣き、相州へ留まりなば一度は武門に秀で、繁栄子孫に及ばん。

狼像は当国に止まるとも、神魂は汝等主従の身に付き添ひ、開運立身を守らん。必ずわが報に背く事なかれ」と、告げ姿は天に飛び去りける。

左衛門、夢さめて勝五郎を起こし、
「われ不思議の霊夢を蒙りたり、早く起き候へ」と言ふ。

勝五郎、「拙者も夢を蒙り候、先づ、我が夢の告げを語り申さん。聞き給へ」
と、物語りせしが、左衛門が見し夢に少しも違はず。
左衛門、はたと手を打ち、
「さては其方が霊夢わが見し夢に少しも違ふ事なければ、是に過ぎたる不思議なし。この上は霊夢の告げに随はん」

と、さる宮寺に収め、しどう料に青銅百五十貫切金を納め、住職の僧へ堅く口留めし、「この事一生の間は世上に流布し給ふな。狼像は末代に奇特あるべし。大切に供養してたび給へ」

住僧、委細を承知し、像を受取り、先づ宝蔵へ安置し、この事我口外出すまじき由を語り、誓約をなし、ひそかに信仰せられける。
然る間、五穀の害を防ぐ守りには分身の小石を授け、害を遁れし後にては元へ返し納め、又生身の狼にても願へば来たって害を防ぎ、守るとかや。

誠に不思議の奇特なり。
是を考ふるに、今の養父(やぶ)の狼の神社ならん。

それより左衛門主従は相模の国へ立ち越え、北条早雲氏茂へ仕へ、武名を顕はし、日下部淡路守信勝を名乗り、相州陶綾郡(ゆるぎのこほりにて数ヶ所の領主となり、勝五郎は池田兵部と改名し、淡路守の家老となりて、数代長久なりしなり。

今、河州丹南の領主高木主水正(もんどのかみ)といふは、かの家筋ならんと言ふ。又、宿南掃部の後は、勝五郎が弟・新七、左衛門の譲りを請け、掃部の乙娘・民女へわが子をめあわせて主名を継ぎ、掃部と名乗らせ相続せしが、霊意に叶はざりしか、後に領主へ罪せらるる事ありて、一度宿南の地を立ち退きしが、又立ち帰りて今にその子孫ありとかや。

後世の人、彼は狼の筋故、眼光鋭しなど言ふ説ありといえども、狼変妖して掃部の家に在りしはわずかに三年。
顕はれて失せし時娘は五才なり。此外に子無し、何ぞ狼の子にあらんや。

委細の謂れを知らずして言ひ伝えし。

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左衛門狼の木像を造り供養の事     付、掃部卒去の事