高木掃部妻女の事
            付 妻女観音に一子を願う事
高木掃部は助次郎を手代として、安楽に光陰を送りしが、妻は美含郡林浦の城主・長越前守家臣・長甚太夫といふ人の娘なり。名を綾女といふ。父、甚太夫は小身侍なれども、先祖は越前守の同血なり。この人、軍学に達せしが、掃部の父・右衛門と懇ろなりける故、信俊存命の節,子息掃部の妻にもらひ置きしと也。

 綾女は容粧も人に勝れ、心もやさしき貞女にして、夫を敬ひ、下人をあはれみ、諸事倹約を守りし故、自然と富饒にして、組下の百姓を恵みければ、諸人掃部を尊敬し、出入りの人多く、家内賑はしく、かくて年月を送りしが、掃部、歳三十の余、妻綾女も廿(にじゅう)過ぐれども子供なし。

 掃部、折々、この事を嘆かるゝに付、妻女これを気の毒に思ひ、ある時、進美寺の観音に立願を発し、夫・掃部にも隠し、ひそかに精進潔斎し、信仰深かりければ、念願通じけるにや。二十二歳の年、懐胎の身となり、明くる春、男子出生す。

 掃部、大きに悦び、名を鶴千代とぞ申しける。成長せるに随ひ、両親の寵愛深かりしが、女は癖づくものか、長子鶴千代三才と申すに、又男子を出生す。これを喜代若といふ。綾女は、これ進美寺観音の御利生なりと思ひ、いよいよ信仰深しとかや
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