進美山観音由来の事   付三頭の旦家の事
そもそも当国、養父郡に進美山といふ霊場あり。東は須留岐(するぎ)山につづき、西北を大河、山の麓をめぐる。また日前山進美寺(しんめいじ)といふ寺あり。行基菩薩の開基にて、山名を寺名とし、もっとも旧例の地なり。

 絶頂には白山権現を観請せり。これは、昔かの山に大樹茂り、天狗、人をなやます故、魔魅を防がん為、行基菩薩この山の頂きに権現を観請せられしとなり。

 されば、今に至りても、折々、天狗の通行ありて空中動揺し、或は木上火など見ゆることあり。絶頂は女人禁制なり。

      太田文に曰く・・・・・・
               根本中堂領  進美寺 三十二町五反
               領家聖憲法印  地頭河南木小三郎入道
                                     蓮忍

 この山、養父郡気多郡の境にあり。太田文に気多郡に入る。
       
       かの縁起に曰く・・・・・・・

 人皇四十二代・文武天皇、慶雲二年、行基菩薩開基したまふ。また、人皇四十五代・聖武天皇、天平十年、勅して、十三間四面の伽藍ならびに、四十二坊の別院を建立しあり。寺領は赤崎、岩中、日置三ヶ村の内に於いて宛て行はる。

 また人皇・八十二代鳥羽院の御宇、仁平元年八月十七日、御願寺として、大般若経六百軸を寄付し給う。その後、嵯峨帝、亀山院二代同じく御願寺として領二百畝を増し給ふ。建久八年、源の頼朝卿、五輪宝塔八万五千基を日本国中に造立し、内五百基を、但馬国に宛てらる。三百基は進美山に立て、二百基は国中の大名に仰せつけて造らせらる。これ平家一門滅亡の冥福を修せんがためなり。これより毎歳、御祈祷の巻数を鎌倉に奉る。

 その請文ならびに国中の大名等、当山に狼藉を致すべからざるの、御教書数通、今にあり。

 その後、人皇百一代・後小松院、至徳年中に、城崎郡温泉寺、清禅和尚、当国に順礼三十三所の観音の札所を定められ、この寺を以て第一番とす。然るに建武延元以来、国中、大いに乱れ、当山に城を構へて要害の地とす。これより、仏事懈怠して僧坊いたく滅亡せり。

 この山の頂きに少し下りて池あり。昔、かの池のほとりに光り物出現すること三夜に及べり。住職の法印はこれを知りたまはず。麓なる日置、赤崎、岩中などいえる里々の者、これを見つけ、何様怪しき光なり。行きてこれを見とどけずんばあらずと、旦頭の人々七八づつ登山するに、三ヶ村、行きて見るに、かの池より、細く直ぐなる三筋の光気、天に立ち上る事、流星の光の如し。

 さして驚くほどの事もなく、不思議に思ひながら山を降りて見れば、空天、赫耀として火の燃ゆる如く、耀気十方に満ち、一天白昼に異ならず。また登りて見れば、ただ一筋の光明なり。

 かくの如くする事、二夜に及べり。然れども、いかなる訳といふことを知らず。空しく寺に行き、法印に対願し、さても当寺の傍らに、一筋の光明ありて、天に立ち上りて火の燃ゆるが如く、麓の里に耀気の目を驚かす。これによりて、寺内に変あらんことを案じ、彼の光の立ち登る所へ行きて見るに、ただ一筋の光、池の中より出づる不思議なる事ゆえ、お尋ね申す也。

 寺中に何の訳もなきや。時に法印、三人の旦頭を伴ひ本堂に招き、さても各々の池の中より光気の出づるを見られしは幾夜なるぞ。三人言葉を揃え、一昨夜半の頃より見付け、昨夜共に二夜なり。法印差しうつむき、三ヶ村より旦頭言ひ合わせたる如く、登山せられしも奇特なり。われ昨夜、不思議なる夢をこうむれり。

 所は当山の峯と思ひしに、金色の老僧、白蓮華に乗じ、わが前に立ってのたまわく、我はこれ当山を護る者なり。この池に有縁の仏ましまし、今宵、この山に出現し給ふべし。

 これまで竜宮城に、とどまりたまひて、この閻浮台に出でたまはざりしに、この地、信心の衆生あって仏法に帰依する者多し。さるに依って今、当山に出現す。光仏と申すは、釈迦牟尼仏、御在世の時、摩訶迦葉、末世の悪衆生を助けたまはんが為、天現自在の御手を以て造り出させたまひし尊像なり。

 昔は天竺、王舎城にありしを、菩提流支三蔵、唐土(もろこし)、天台山に安置せり。その後、かの仏、百済国に影向(しょうこう)したまひ、その国の衆生、多く御利益をこうむりしが、百済国、馬韓の皇帝・済明王、第三の皇子・琳聖太子、かの仏を信仰したまひ、肉身の如来を拝せんと誓願を発したまふ。

 仏、夢中に太子へ告げ給はく、日本の皇子・聖徳太子と申すは、過去世法明如来なり。今、日本に降誕して衆生を済度したまふ観世音菩薩なり、と告げ給ふ。琳聖太子、信心、肝に徹し、やがて船を装り、かの閻浮金三尊の仏像を守護し、公卿、百官、百余人を召し供し、日本に渡りたまふに、海上俄に悪風おこり、逆波、天に立ち登る。

 太子の御船、すでに覆らんとせしが、御厨子の中より観世音菩薩、光を放って、飛び出で給へば、弥陀、勢至の二尊ともに海底に沈み給ふ。これによって、風波忽ちに収まり、太子の御船つつがなく日本・九州の地に着岸し給ふ。

 これ即ち八大竜王、かの三尊の霊仏を竜宮界へむかへ奉り、苦難をのがれんがため、かかる逆浪の変を発せしもの也。たとへ、いかなる悪竜にもせよ、観音の威力に近づくこと、なりがたしといへども、未だ、その時は、この国の仏縁に薄し。竜界へ深き因縁まします故、海界に沈みたまひし也。今、竜宮界の縁尽きて、この国に出現したまふ。即ち、当山の池より、ようがいしまします故、汝これを拝すべし。

 我は是れ行基なり。必ず疑ふことなかれと言って、東を指して去りたまふと見て、夢さめぬ。余りの不思議に心動じ、本尊の御前に礼拝して居たる也。

 かく各々に語るといへども、我が心、茫然として、今に夢うつつの境をわきまへず。しかるに、かたがた、かく未明に登山せらるること、仔細あらんと思ひ、ここへ招きしなり、と申さるる時、三人言葉を揃へ、さては、この度の光物こそ、霊仏、かの池より出現したまふ奇瑞なり。少しも疑念をなすべからず。

 我らも今日、当山にとどまり、仏の影向を拝せんと、召し連れし者どもは、皆々里へ帰し、旦頭の人々、三人留り、法印はじめ歓喜の涙を浮かべ、日の暮れるのを待ち居りたり。 (次のページへ)