かくて法印、沐浴七度にして、清水に身を清め、九条の袈裟を書け、池の四方に香を焚き、花をかざり、夜に入るのを待ちかね、かの池の汀に座したまへば、末寺の僧達、法印の後ろに座し、三人の旦頭は俗体なれば池の辺に少しはなれ、法印を守護し、仏の出現、今や今やと待ち居りたり。

 夜も亥刻に至れども、何の奇瑞も顕はれず。
深山大樹茂りたる岸にある池なれば、黒闇の如く暗かりし。丑の刻とおぼしき時、池中より、一筋の光、天に立ち登りて、赫耀たり。

 法印はじめ、守護の人々、声高に光明真言を唱え、歓喜の涙を浮かべける。やがて、寅の上刻に至る頃、山河しきりに動揺し、池の中より紫雲立ち登ること、煙の如し。霊香、天地に薫す。法印怪しと思ひ合掌し、池の中を拝したまへば、光明の中に八寸ばかりなる勢至菩薩、金色の尊像より、光を放って顕はれたまひ、矢を射る如く空天に登りたまふ。

 法印は夢の如く後をかへり見、各々仏の尊像を拝したるか。皆々言葉を揃へ、光は拝すれど仏像は拝見せずと言ふ。間もなく、池中に光明立ち登る有様、朝日の出づるが如く、天地耀々と先に倍せり。霊香さかんに薫じ、光法印の面に徹し、目も開き難し。されども法印一人の目に顕はるばかりにて、余の僧侶の目にはただ光明の外は見し人なし。

 法印、信心肝に徹し、額を地につけ、声高に真言を唱え、目を開き拝したまへば、光の中に二丈ばかりと見えし弥陀尊像、あらはれたまひ、これも天に飛び去りたまふ。

 法印、思はれしは、かかる霊仏当山より出現したまへば、末世の衆生を助けたまひつらん、と思ひしに、空天に飛び去りたまふは、当山に仏縁なきか、または、わが身の不徳なるか、何様夢の告げには三尊と聞きつれば、やがて、あとより一仏尊、出現したまふべし。

 今度は留め奉らんものをと思ひ、九条の袈裟を脱ぎ、これを打ち掛け留め奉らんと、仏の出現、今やおそしと待ちたまふ。あんの如く、耀きければ、すはこの時と思ひ、池の中を拝したまへば、紫金の光明赫耀として、五色の雲、虹のごとく立ちのぼる。その中に、先に出現したまひし、勢至の如くなる観世音菩薩の尊像、光を放って現はれたまふ。かくと見るなり、かの袈裟を覆ひかけ抱きとめ奉り、南無大慈大悲無尽意菩薩、当山に留まり衆生を助けたまへと、観音陀羅尼真言を唱へながら寺内を指して馳せ帰り、直ちに本尊の御前に袈裟を包みながら、金欄の打敷きをしき、その上に置きたてまつり、数ヶ所香を焚き不浄をはらい、信心肝に徹し、礼拝せらるるに、かくて次ぎ次ぎの僧俗、法印の詞につき随ひ寺内に帰り、仏まいらんとせしが、不思議や、常には何の事もあらざりしに、悪仏の恐れにや、余の人々は、五体すくみて、同間に入ることならず、間を隔て、礼拝せり。

 その後、清浄の御厨子に納め奉り、戸帳をかけ、かの霊像を奉納せられしに、尊像の重き事、常のかねに倍せり。金色の御膚、あたたかなること生きたる人の肌の如し。不思議というも愚かなり。

 かかる霊仏ゆえ、やがて観音堂を建立し深く内陣に納め、俗人、不浄身にて、直に拝礼なりがたきゆえ、別像を鋳奉り、御前に安置しける。これより、諸方へ伝へきき、参詣の男女、日夜絶えず。霊験の利生あらたかに諸願たちどころに叶うが故、末世の衆生尊敬し奉り、今世までも霊験昔に変わらざりしなり。

 かかる尊き観音なれば、掃部の内室、深く信仰ありしも理なり。
当山の仏、出現ありしより、かの池に清水わき出ずる事、湯玉の沸き出づるが如く、諸方、この水を汲むに、いかなる日照りにて、大川の水減ずる夏といへども、水勢強く、減ずることなかりしに、建武延元の乱より、当国武士狼藉をなし、当山に要害を構へ、多くの坊を破却し、池を穢ししより、湧き水止まり、忽ち空池となりしは、あさましきことなり。
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進美山観音、池中より出現の事