頃は永享七年、弥生の始めなりしが、山々の雪も消え、暖和の気を催し、櫻花所々に咲き満ち、賑わしく長閑にて、人の心も浮かれければ、掃部の内室、手代、助次郎を招き、この頃は天気よく、山々の花も今を盛りなるべし。
 
 子どもや従女を伴い、一日花をながめたく思ふなれば、掃部殿へ申し候へ。助次郎、仰せの如く近頃は俄に暖気を催し、数日天気にて、道も乾き候へば、花見の興にはこの上もなき時節なるべし。婦人方は常々外をも見たまはねば、御欝気を晴らしたまふにも御養生なれば、旦那へ申し上ぐべしとや。

 掃部、聞きて、尤もの事なり。近々天気を見合わせ、下男下女諸共にその方、案内して慰め候らへ。見るばかりにては、さしもの興もあるまじ。酒肴弁当など沢山に用意し、近所の者共を加へさらい、その方、何かを調ふべし。

 助次郎、心得、天気を見合わせ、下男下女を打ち連れて、一日花見に出でける。
助次郎、綾女に向ひ、この谷の奥、三谷村の山へ櫻の数多く、山の峯に独活(うど)、蕨なども最早新芽を出し候ふべし。とてもの御慰みに、花ご覧じながら、その方へ御廻りあれやと言ふ。

 その方,よからん方へ案内候へと、山の尾伝ひ、花をながめながら三谷の方へ歩み行く。ここは櫻大きく咲き満ちて、さながら吉野の花盛りもかくやと、思ひ皆々興じける。場所よく山の尾伝ひに毛氈、弁当、酒肴取り散らし。従女なり下男は独活(うど)、蕨(わらび)など摘み取り、綾女を慰め楽しみけるが、一人の下男、雑木の生え茂りたる所へ深く行きて、独活芽を取らんとせしに、地の底に狼の啼く声きこゆ。

 おそろしく思ひながら、よく辺りを窺ひ見れば、古き鹿の落とし穴あり。その口へ草木は生ひしげれり。その穴に狼、落ち入りしなり。是より人々にも語りければ、皆々行きて見んとて穴の口へ寄り集まりけれども、口狭く、深さ一丈もありなんと思はるるに、底暗く、狼の姿も見えず。

 綾女、下男に口の草木をさり、内の様子を見よとなり。下男、用意せし花切り鎌にて、穴の草木を刈り取りけれども、井戸の如く深ければ明らかに見分けがたく、顔さし出し覗き見れば、大きなる狼、穴の底にありて、二つの眼光りけり。

 また側の小さき子、二匹見えたり。犬の子の鳴くが如き声を出す。皆々恐ろしきながら、除き見たりしが、下男、助次郎に向かひ、この麓に見ゆる三谷村に多知見沢右衛門といふ人あり。父は牢人にて藤弥(とうや)といふ。弓の上手にて三谷村に住居し、猪、鹿、猿の類、その外雉子、山鳥など、射取り渡世とせり。この人相果て、子息・沢右衛門も折々、鹿、猿など射取りしを度々見て候。この人を招き、狼を殺さすべし。近ければ、馳せ行き呼び来り候はんといふ。

 綾女、押し留め、その方は何とてかかる不義なることを言ふぞ。我ら今は花見に出でしは気を晴らし心を慰めんためばかりなり。狼のあやまりて穴に落ち入り苦しむを不憫とはとは思はずして、殺さんといふは、いかなる事ぞ。

 五穀に害をなす獣ならば、時によりては是非もなし。これとても、今日が如き時節に殺すは、無益の殺生なり。獣の中にても狼は作物に害をなさず、殊にはげしき猛獣なれば、かく深き穴などに落ち入るもにはあらざれども、察するところ、二つの子、誤って落ち入りしを助けんために、その身もかかる難儀にあひしものならん。

 生ある者、命を惜しみ子を思はぬはなきぞとよ。焼野の雉子の身を果たすも、みな子を思ふが故なり。目にかからねば是非もなし。かかる事を見つけながら、救ひ助くる心なきは、情けの道を知らざるに似たり。早々一方掘り開き助かる様に計らひ候へとなり。

 皆々、日頃、綾女の情け深き心に恥じ、下男、人家へ走り、鍬を用意し来りければ、鶴千代母の袖をひかへ、狼の難儀を救ひたまふは御もっともなり。しかし穴口をp掘り下げ伝ひをつけなば、飛び上がり害をなさんも計り難し。養ふ犬に手をくらわるるといふ喩へあるに、況んや猛き狼なれば恐るべし。母上なりわれらは従女とともに此処を去り、元の座に行き様子を見るべし。助次郎はじめ両人とも心を配り用心したまへとなり。鶴千代、当年、十三歳なりしが、智恵さかしく、壮年の人にもまさりて発明なり。

 綾女、打ちうなずき、よくも心づきしものかな、と言ひつつ穴の中へ少し顔を出し、下なる狼よく聞き候へ、われは掃部の妻なるが、その方が難儀を見捨てて帰るに忍びず、助け得させんと思ふなり。必ずあやまりて人に害をなし候ふな。その方を不憫と思ふが故なりと、静やかに申されけるに、狼、怒れる姿を和らげ、光渡る眼を閉じ、うつむき伏したりける。

 皆々之を見て、畜生なれども、人の言葉を聞き取りしやと思ひつつ打ち連れて元の座に行き、見物せり。

 助次郎と下男は替る替る穴の口の一方を溝の如く掘り下げる。されども狼は綾女の言葉を聞き分けしや、少しも動かず、死せる如き有様なり。二人、休みなく堀りしゆえ、狼の居る所へわづか三尺ばかりになりぬ。助次郎、二人に向かひ、最早、飛び上がるに易からん。されども、われらここに居ては恐れて上へあがるまじ、いざや、人々の方へ行かん、と立ち去りける。

 皆々、打ち寄り、様子を見れば、狼、子をくわへ飛び上がりて三匹とも穴の口へ姿を現はし、暫くありて、親狼、人々の方へ向かひ、ニ、三間歩み行き、一声鳴きて地に伏したりしが、子を連れ林の中へ隠れける。

 皆々、これを見て、かかる命冥加にかなひし、狼こそなければ、奥方の情あらずんば、かやうの者を救ひ助くる人あらじといふ。綾女、これを聞き、窮鳥懐に入るをば狩人も之を捕らずとかや。日頃、人間を恐るる獣なれども、穴の底に落ち入り上がることかなはず。とても死なんずる命と知り、人の音のするを聞き、声をあげて鳴きしは助けてくれよと、言ひしならん。之を見て、見捨てるは心なきに似たり。

 されば昔、釈尊、雪山童子たりし時、山中の石上に座禅したまふ折節、鷹ありて三羽の鳩を追ひ来る。この鳩、疲れて遁るる所なく、童子の膝の上に落ちたり。童子、御袖を覆ひ隠したまへども、鷹、これを知りて童子の御前にとどまりて動かず、その時童子、御身をそぎたまひ、鳩の重さほど鷹に与へたまふ。

 その心を歌に詠めるあり。

   これやこの 真白の鷹に 餌を乞はれ 鳩のかはりに 身をそぎし人

 かやうの事さへあるに、狼なればとて、親子三匹の命、空しく穴の底にて飢え死なんを不憫と思ふが故、殊に狼は長寿の獣にて、命を惜むこと、説なりときく。
 
 今日、われら花見に出でずば見付ける人、あるまじきに、図らずも彼の命を助けしこそ、過去の因縁ならん。悦ばしとぞ申されける。

 かくて、日も西なる山の端にかかり、夕暮近くなり行けば、いざや里へ下らんと、打ち連れ、家路に帰りけるなり。( 次のページへ)                    
掃部内室、花見に出づる事       付 狼を助くる事